朝比奈隆指揮倉敷音楽祭管 モーツァルト 交響曲第34番K.338(1995.3.21Live)ほか

毎年3月に開催されている倉敷音楽祭(コロナ禍のため今は中止の憂き目にあっているが)。
朝比奈隆は第2回から第10回まで出演し、好評を博したという。

収録された録音は1989年から1995年の倉敷音楽祭での演奏である。この音楽祭は1987年に岡山県の倉敷市で始まり、クラシック音楽、日本の民謡及びポピュラー音楽の公演、また様々なイヴェントから構成されている。倉敷音楽祭オーケストラは日本各地から参加した優れたプレイヤーの集合体である。会期中のハイライトの一つは何といっても朝比奈隆の登場で、毎年ベートーヴェンの交響曲1曲とモーツァルトの交響曲1曲からなるプログラムを指揮した。
(ヘンリー・フォーゲル)
TBRCD0008-2ライナーノーツ

残念ながら当時、僕は倉敷音楽祭を訪問することは叶わなかった。
録音を耳にして、朝比奈隆のモーツァルトがどれほど瑞々しく、しかもベートーヴェン解釈と同じく、ともかく楽譜を信頼して、忠実に再現しようとする、音楽の下僕としての姿勢を崩さない誠実な演奏だと思った。例えば、ザルツブルク時代の最後の交響曲K.338は、いかにも朝比奈隆らしい、重心の低い堂々たる構成の、後期の交響曲に見劣りすることのない表現で、感嘆した。

私は創造ということばに、ひどくひっかかるんです。かつて、自分でそう思おうと努力したり、思い込んだようなふりをしていたようなことがありましたので、ちょっとひっかかったんです。演奏という仕事は、そんな難しいことを考えなくて、忠実な仲介者であるということで十分、芸術行為に参加できるんです。非常にこれはわれわれ演奏家にとって安心なんです。焦って、芸術家面をしなくても、自ら、もう、芸術行為の中の重大な部分を担っているんだと思いますと大変気が楽になります。これは、一般の芸術家の方がききますと「いや、演奏は創造なんだ」という人があるいはいるかと思いますが、私は、そう思われないようにすべきなんではないかと考えております。
朝比奈隆「音楽と私—クラシック音楽の昨日と明日」(共同ブレーンセンター)P164

どこまでも謙虚であるのが朝比奈隆その人で、その現われが彼の残した演奏であり、多くの録音群なんだとつくづく思う。

モーツァルト:
・交響曲第34番ハ長調K.338(1995.3.21Live)
・交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(1994.3.27Live)
朝比奈隆指揮倉敷音楽祭管弦楽団

倉敷市民会館での実況録音。
第34番ハ長調K.338は、日本中を震撼させたかの地下鉄サリン事件の翌日の演奏だ。
第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの活力漲る表現。また、祈りの如くの第2楽章アンダンテ・ディ・モルトの安息。そして、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに溢れる音楽の喜びよ。
そして、その前年に披露された「ハフナー」交響曲K.385の、弾け過ぎることのない、どちらかというと地味な印象の第1楽章アレグロ・コン・スピリートが何より美しい。ここでも朝比奈は、余計な思念は排除して音楽の下僕に徹しているようだ(落ち着いてゆっくりした足取りの第2楽章アンダンテが心に沁みる)。

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