伊賀あゆみ 山口雅敏 ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」(ピアノ連弾版)ほか(2017.2録音)

マクシムの回想。

僕は小さい頃、よく、父がどうやって音楽を作り出すのか観察したものです。父は机に向かって作曲します。僕は父の五線紙を持ってきて、父のまねをして、シッポのついたおたまじゃくしをいっぱい書き始めます。それから父のところへ行って「ねえ、パパ、僕の書いたのを弾いてみて」と言うんです。父は黙ってピアノの前に座り、文字通り子どもの落書きから生まれた「音楽もどき」を弾いてくれました。もちろん、そんな曲、僕には気に入りませんでした。父は僕が書いたままを演奏したのですから。父は僕にこんなふうに言ってきかせるのです。「いいかい、本物のすばらしい音楽を作るには、長い間かかって辛抱強く勉強しなくてはいけないんだよ。」「で、どうすればいいの?」という僕の質問には決まって、「まず、手始めに変奏曲をかいてごらん」と答えたものです。
ミハイル・アールドフ編/田中泰子・監修「カスチョールの会」訳「わが父ショスタコーヴィチ 初めて語られる大作曲家の素顔」(音楽之友社)P51

子どもに教えるショスタコーヴィチの優しさが滲み出るエピソードだと思う。
ショスタコーヴィチは、ピアノで考えた。否、湧き上がる楽想を、想念を音符に委ね、それを確認するために、そして磨き上げるために常にピアノで確認したのかもしれない。彼にとってそれは遊びの一つだった。

怒涛の交響曲群も、自らの手でピアノに編曲された。あの、天地を揺るがす轟音も、ほとんど静寂を保つ囁きも、どれもが天才の成せる業ではあるが、いざピアノ版ともなると、モノトーンの響きの中から湧き立つ念は、極めて可憐で、同時に煌びやかで、一切の余計なものが削がれたシンプルな音楽の様相を示すのだからとても興味深い。

世界初録音となったピアノ連弾版の交響曲第11番「1905年」を聴いた。
内省的な、ショスタコーヴィチの心の奥底の叫びが聞こえるようだ。

ショスタコーヴィチ:
・交響曲第11番ト短調作品103「1905年」(作曲者自身によるピアノ4手連弾版)
・第4楽章「警鐘」終結部(エキストラ・バージョン)
・タヒチ・トロット作品16(ショスタコーヴィチによるユーマンス作「二人でお茶を」のピアノ編曲版)
伊賀あゆみ(プリモ)
山口雅敏(セコンド)(2017.2.14-16録音)

基本的にショスタコーヴィチの音楽には、ドロドロした思念がつきまとい、妖艶さはもちろんのこと、暗澹たる業に支配された音が連綿と続くが、いざピアノ版に接すると、見事に想いが軽くなるのだから面白い(セコンドの山口のかき鳴らす重低音がうなる)。

かなりの恋愛体質で、あのカタブツそうな顔で3回結婚、愛人複数。なのに音楽は全然甘くないのが不思議だ。
最初の妻ニーナ(物理学者)とけっこんするときには、その前のタチアナと二股だった。消え切らないショスタコを諦め結婚したタチアナに復縁をもちかけ、ニーナとの結婚を撤回した経緯がある。タチアナが夫との子を妊娠してやっと引き摺った10年愛を終え、電撃的にニーナと結婚した優柔不断オトコなのだ。
次いで学生のエレーナ(通訳)にぞっこん。「妻ある身なのに、僕の妻になってくれることを夢見ています。死ぬほど好きだ、君なしでは生きられない」大量の手紙はショスタコが亡くなった年、彼女に公開される。これは恥ずかしい・・・。当然離婚の危機を迎えるが、今度は妻ニーナの妊娠で終止符。娘ガリーナ、息子マクシムが生まれる。

(高沖秀明)
VTS-003ライナーノーツ

俗物ショスタコーヴィチのハチャメチャさが窺える。彼の音楽に潜む魑魅魍魎たる調子は、内面のどうにもならない「不足感」から生じるカルマの結晶なんだと思う。そして、そういうものが天才によって類い稀なる音楽に昇華されたとき、人々に途轍もない感動を与える創造物になり得るということだ。

果たしてピアノ連弾版交響曲第11番は、第1楽章「王宮広場」冒頭から、どうにも惹きつけられる。何という美しさだろう。第2楽章1月9日の激性に痺れ、最良は第3楽章「永遠の追憶」の文字通り永遠の光。必聴の名演奏。ぜひとも実演で触れてみたい。

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