天才といえど、彼も一人の人間だった。
しかし、時空を超え、世界中の人々をこれほど魅了する天才はほかにはいない。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。1756年にオーストリアのザルツブルクに生まれ、1791年にヴィーンで、わずか36年にも達しない生涯を終えた男。その短い生涯に彼は千曲近い音楽を書いた。200年後の私たちに残されたものは、これらの作品の大部分と、数多くの手紙である。
しかし現在のこの瞬間、地球上のどこかでモーツァルトの作った音楽が鳴っていないことは、まずあるまい。さらには、一時といえどもモーツァルトの音楽が、地球上に住む誰かに感動を与えていない時はないだろう。
こう考えてみると、200年も前に消えてしまった一人の男の魂から出たものの拡がりの大きさに、私はただ途方にくれてしまう。
~井上太郎「モーツァルトのいる部屋」(新潮社)P8
井上太郎さんが1985年に書き下ろしたこの言葉に僕は同意する。
モーツァルトの聴きどころは、全盛期のはち切れんばかりの愉悦の中に一瞬見せる哀感と、晩年の哲学的で深遠な表情を湛え、その中にいかにも彼らしい喜びを刻印する陰陽二気の醍醐味だ。
オットー・クレンペラーをひもといた。
ウォルター・レッグの下、晩年に録音した数多の演奏はどれもが飛び切り。
モーツァルト然り。堂々たる風趣の中、快活に進む音楽あれば、沈潜する涙の音楽がある。どれもが血の出るような有機的な響きを持つ。半世紀上経過するのに、音が生きているのである。
クレンペラーの演奏は余計な力が入らず極めて自然体。
モーツァルトの翳を映す深沈たるアダージョとフーガが俄然美しい。颯爽たるテンポで前進するト短調交響曲も見事の一言に尽きる。同様にイ長調は、クレンペラーの手にかかると大交響曲の雰囲気を醸す。
ところで、旅の途上で母の体調の悪化を報告する父宛手紙に書かれた「パリ」交響曲初演の模様は、モーツァルトの心情までが克明に描かれていて、とてもリアルだ。
ぼくは、コンセール・スピリテュエルの開演用に、シンフォニーを一つ作らされました。それは聖体節に演奏されて、大いに喝采を受けました。聞くところでは、「ヨーロッパ通信」にも、その記事が出ていたそうです。つまり、この曲は特別に受けたのです。試演のときは、生まれて初めてというくらい悪く聞こえたので、とても心配でした。交響曲を二度もつづけてブーブー・ガチャガチャとやっつけた有様なんて、とてもご想像にもなれないでしょう。ほんとうに、とても心配でした—もう一度試演したかったのですが、いつもいろいろとたくさん試演をしているので、時間がありませんでした。それで、不安な思いで、また不満な腹立たしい気持で、ベッドに入らなければなりませんでした。
(1778年7月3日付、パリよりザルツブルクの父レオポルト宛)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」(岩波文庫)P156-157
軽快で祝祭的な音調の交響曲が、クレンペラーの指揮によって重厚で意味深い大交響曲に変貌する。可憐な第2楽章アンダンティーノが極めて美しい。