朝比奈隆指揮大阪フィル ベートーヴェン第2番(2000.3.12Live)ほかを聴いて思ふ

最晩年の朝比奈隆の演奏は、いつも本当に若々しかった。
舞台下手袖から指揮台に向かう姿は、ほんの少し前まで矍鑠としていたものが、衰えを感じさせるほどの足取りや容貌にはなっていても、一旦指揮台の上り、指揮棒を手にした後生み出される音楽の堂々たる、そして瑞々しい響きに僕は都度感動させられた。
演奏するたびに何かが変わる朝比奈の音楽に、生きることの意味と意義を思い、畏怖の念すら抱く。

ベートーヴェンは、終わりのない旅。近づけば近づくほど、遠くへ行ってしまいます。作品の内容がしっかりしており、小手先の指揮や演出では、ろくなものができない。
OVCL-00019ライナーノーツ

最後のツィクルスに際して、朝比奈隆はそう語ったという。

交響曲第2番ニ長調作品36。
かの「ハイリゲンシュタットの遺書」の最中に創造された、ベートーヴェンの新たな側面を映し出した傑作。朝比奈隆は、どんなときも謙虚に学ぶ。

倉敷音楽祭のとき、第1楽章序奏アダージョ・モルトの木管合奏の箇所を木管奏者8人が本番前に廊下でさらっているのをみて閃いたという。

そこをえらいゆっくりしたテンポで稽古しているんです。もちろんゆっくりやらないと音程の練習になりませんけれども、演奏会の10分くらい前でしたから、もう本番と同じ気持でしょう。それが実に落ち着いたテンポで、良いんです。いいプレイヤーばかり集まっていた演奏会でしたから、私も「ああ、なるほどな」と思って。それで舞台に出てから、だいたいそれに近いテンポでやってみました。そうするとそのあとのアレグロもあまり速くならなくて、ちょうど良かった。済んでからそこらへんにいたのをつかまえて、「君らが練習していたのを聞いて、ああなるほどと思ったんだ」と言ったら、「そんなつもりで吹いてたんじゃないんですが、それは大変失礼しました」「いや、謝ることない。こっちがお礼言ってるんだ」。
朝比奈隆+東条碩夫「朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社)P36-37

朝比奈らしいエピソードに脱帽である。

ベートーヴェン:
・交響曲第2番ニ長調作品36(2000.3.10Live)
・リハーサル風景(2000.3.10録音)
・交響曲第2番ニ長調作品36(2000.3.12Live)
・リハーサル風景(2000.3.9録音)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

わずか2日の違いだが、僕の耳にはやはり3月12日、愛知県芸術劇場での演奏の方がより板につき、朝比奈らしい重厚でありながら自由な飛翔を感じさせるものに聴こえる。ここには明らかに挑戦がある。

何より清らかな第2楽章ラルゲットの、青年ベートーヴェンの創造性と老練の朝比奈隆の職人技の掛け算。弾ける第3楽章スケルツォの勢いと、終楽章アレグロ・モルトの流れの良さ。クレッシェンドしてクライマックスを築くコーダの最後のシーンは実に見事であり、朝比奈隆の本懐。筆舌に尽くし難いエネルギーの奔流!!
観客の歓喜の拍手喝采は相変わらず感動的。

ところで、このセットには3月10日のフェスティバルホールでのゲネプロの様子と、その前日9日の大阪フィルハーモニー会館でのリハーサルのほぼ全貌が収録されている。その様子を聞くにつけ、先の言葉通り、朝比奈が最重要なポイントだけを指示し、基本的にオーケストラの自主性を大事にし、ベートーヴェンの魂の表現を試みようとしていることがわかる。

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1 COMMENT

桜成 裕子

おじゃまします。交響曲2番を聴いてみました。 難聴に苦しめられているとは思えない、若さとエネルギーと清澄な美しさの交響曲。ですが、1楽章に、第1交響曲には感じなかった、何かに挑戦するような旋律とそれに抗するような旋律がセットで繰り返されるのは、前に立ちはだかる難聴という苦難に対するものかもしれない、と思われました。1番と2番の間にはまた今まで気がつかなかった大きな変化があることに気がつきました。ありがとうございました。
P.S. 改めて年表を見てみると、第2番の完成は1802年3月、ハイリゲンシュタットの遺書はその年の10月、となっているようなのですが、どうでしょう?

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