ブッシュ弦楽四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第12番作品127(1936.10&11録音)ほか

ブッシュが心技共に最高の境地を迎えた1936年に、あの長大な変奏曲を持つベートーヴェン後期の第1作、Op.127が録音された。
(幸松肇)
~SGR-8513ライナーノーツ

冒頭のこの文言に、ブッシュ弦楽四重奏団のベートーヴェンを聴きたくないと思う人はいないだろう。何と艶やかで、何と生命力に溢れる音楽であることか。(病を抱えながら)いよいよ枯淡の境地に入ってゆくベートーヴェンの溌溂とした命の勢いが、第1楽章マエストーソから聴き取れよう。

初版譜においてOp.127、Op.132、Op.130の3曲の弦楽四重奏曲がガリツィン侯に献げられたことはそれぞれに明示されており、それは歴史的事実であって、それらを“ガリツィン四重奏曲”、あるいは“ガリツィン第1番”などと呼ぶことは社会的にも定着はしている。しかしこうした再検証を経ると、その呼称を使い続ける是非は問われるのではないだろうか。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P1093

これは、社会的契約を一方的に履行しなかった侯に対し、その経緯の詳細をきちんと追った上で、それでも人としての誠意にかける姿勢に腹立たしさを覚えた筆者の個人的見解であるとはいえ、その思いはよくわかる。

ことに1827年に入ってからの、回収に向けてのベートーヴェンの必死の努力には痛々しいものがある。最晩年の経済的窮状の一因がこの件にもあったことは後世にとって衝撃で、「とくにすでに長く続いている病気にあって必要としている」との最後の言葉は心に迫るものがある。
~同上書P1091

ただし、二人の間には時間と空間を超えた因果の法則が働いていることを忘れてはなるまい。順境であろうと逆境であろうと、世界はどんなときも調和に向かっているのである。その意味では、清算が行なわれたといえる。

ブッシュ弦楽四重奏団による作品127の(17分近くを要する)第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・カンタービレがあまりに美しい。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127(1936.10.16, 17, 26 & 11.2録音)
・弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135(1933.11.13録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアッソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトール(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

古の歌謡は、心に迫る。言葉にならない神々しさよ。
ベートーヴェンの無心の作品は、経済的窮乏を引き起こしつつも、後世に対して多大なる文化的結晶として遺されたのである。第2次大戦前夜の、ロンドンはアビーロード・スタジオでの録音は、何だかとても喜びに溢れている。

ベートーヴェンの懸念した通り、この作品の初演は失敗であった。シンドラーの伝えるところによれば聴衆は音楽が何を表現し、何を語っているのか全く判らなかったということである。
シュパンツィクは3月13日の演奏会で再演しようとしたが、ベートーヴェンは許さなかった。

小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P162

その前の作品95(1810年)から10年以上の隔たりがあり、彼の音楽はそれまでのものとは異次元のものになっていたのである。

シュパンツィクがヴァイオリンという楽器の性質上、演奏、表現の上に限界がある、ベートーヴェンの曲はそれを無視している、と苦情を言った時、ベートーヴェンは「精神がわたしに語りかけている時に、君の哀れなヴァイオリンのことなど考えていられると思うか」と言ったということである。
~同上書P167

精神と訳されている原語は”Geist”であり、そこには「精神」という意味もあるが、どちらかというと「霊的な存在」という意味の方がベートーヴェンの真意に近いと僕は思う。それこそ楽聖の本懐だ。

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2 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。この12番を聴いてみました。初めて聴くのではないはずなのに、第2楽章の素晴らしさに開眼しました。それが変奏曲であることにも初めて気がつくという迂闊さでした。以前に、あるユダヤ人が、アウシュヴィッツの収容所での囚われの日々の中で正気を失わずにすんだのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を頭の中で鳴らしていたから、と語ったというのを読んだことがあります。その曲はこの2楽章のような曲ではなかったか、と思いました。
 ガリツィンとの経緯について読みました。ラズモフスキーとかガリツィンとか、当時のロシアの貴族は実に芸術的だったのだなあ、と感心していたのですが、大いにがっかりしました。作曲の約束を誠実に履行したベートーヴェンに対して、代金を支払わずに逃げ回るとは、なんと卑劣なことができるのでしょう。しかもそれがロシア式手管だとは!病床にあって金欠状態のベートーヴェンはあまりに悲惨です。その借金の回収を甥のカール及びその妻が引き継いでいたこと等を知り、いいような悪いような複雑な気持ちですが、当時の銀行や周りの人等、案外しっかりしていたのですね。それにしても当時のことが手紙や領収書等で追跡できるなんて、よくぞ残ったり、よくぞ調査したり…と本当に驚きます。ありがたいことです。
 ここで書いておられるベートーヴェンの言葉、「精神が私に語り掛けている時に…」は、「精神」では本当に意味不明ですよね。「神から降りてくる霊感」いうような意味でないと。それが天才の創作の奥義でしたね。外国語の翻訳は難しいですね。ベートーヴェンの日記や手紙でも、翻訳家によって全然別の意味になっていることがあります。
まただらだら、と書き、すみません。 ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

作曲の背景や史実を知ることは大事ですよね。
ガリツィン侯とのやり取りについては本当に不幸なことだとは思いますが、それもベートーヴェンの身に起こった事実として受け止めれば、ガリツィン侯に献呈された作品127、作品130、作品132が一層心に染み入ると思います。
後期四重奏曲開眼の第一歩になろうかと。(笑)
ありがとうございます。

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