アルバン・ベルク四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番作品130(1982.6録音)

ロシアのガリツィン侯爵の委嘱により生み出された3曲の弦楽四重奏曲の革新的装いと、崇高かつ静謐な響きに今更ながら感嘆の念を覚える。驚異は何より、このとき、ベートーヴェンは慢性的な胃カタルという病に陥っていたこと。

創造のたびに3作の形式は従来の枠を超え、(物理的にも精神的にも)大きくなっていく。止めは、作品130の終楽章に充てられた大フーガだ。

弦楽四重奏曲2作目(Op.132)は1825年9月に、3作目(Op.130)は1826年春に、献呈用筆写譜がガリツィン侯に届けられた。1826年1月14日に侯は弦楽四重奏曲2作目に対する50ドゥカーテンと序曲に対する25ドゥカーテン、計75ドゥカーテン(約340グルデン)を振り込むとしている。しかしこれは、第3作目に対する50ドゥカーテンと併せて、未払いとなり、その総額は125ドゥカーテンに達した。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築1」(春秋社)P264

死を目前にしての作曲家のやるせない思いが想像される。この不幸をベートーヴェンは何と思ったか。しかしながら、そういう現実の事情とは別に、音楽そのものは絶対的にベートーヴェンの内面を映し出し、神の啓示たる音調を聴く者に強いる。これほど純度の高い、筆舌に尽くし難い感銘を与える音楽たちが他にあろうか。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130
・大フーガ変ロ長調作品133
アルバン・ベルク四重奏団
ギュンター・ピヒラー(ヴァイオリン)
ゲルハルト・シュルツ(ヴァイオリン)
トマス・カクシュカ(ヴィオラ)
ヴァレンティン・エルベン(チェロ)(1982.6.13-18録音)

オリジナルの大フーガと、新たに書かれた終楽章との比較が面白い。

作品130変ロ長調は前年11月に一応纏まった。その初演はシュパンツィクの手で3月2日に行なわれた。その結果であろうか、アルタリアはその終楽章のフーガはあまりに長大で独自の楽想をもっているから、独立させた方が良いと忠告した。ベートーヴェンはこの意見を容れ、9月にはその構想を纏め、現在の終楽章を10月か11月初めには弟の所、グナイクセンドルフで完成している。しかし、この新しい終楽章をもった作品130はベートーヴェンの死後4週間して1827年4月22日初演されることとなる。
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P187

おそらく当時の、どんな音楽よりも前衛的な大フーガは、森羅万象すべての英知を取り込んだ、ベートーヴェン畢生の傑作である。ここでのアルバン・ベルク四重奏団の演奏にはすべての楽章を通じて恣意がない。第1楽章アダージョ,マ・ノン・トロッポから無為の姿勢が貫かれる。ベートーヴェンの音楽だけが鳴り、そこには奏者の思念が入り込む余地はないのだ。
僕はただ、最晩年のベートーヴェンと縁を結ぼうとするが、しかし、そこにはもはやベートーヴェンはいない。ただ光あるのみ。

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4 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。このCDを聴かないでコメントに参加してしまい、すみません。ベートーヴェンの後期四重奏曲の、別次元に突入した感に全くついていけてないのですが、13番(作品130)、(覚えやすくてありがたいです)第五楽章カヴァティーナの「崇高で静謐」な響きには圧倒されている者です。このような作品の誕生のきっかけとなった献呈先のガリツィンとその経緯については詳しく読んでみたいのですが、その前にアルバン・ベルク四重奏団の演奏についてここで岡本様が書かれておられる「僕はただ、最晩年のベートーヴェンと縁を結ぼうとするが、しかし、そこにはもはやベートーヴェンはいない。ただ光あるのみ。」に、はたと感じ入りました。アルバン・ベルクの他のベートーヴェン四重奏曲を聴いた時に感じたことと(僭越ながら)似ている気がして、勝手に共感し、うれしくなりました。ベートーヴェンを聴く時、おのずとそこにベートーヴェンを感じたいと思いますが、アルバン・ベルクの演奏には感じられず、自分の中で切り捨ててしまった過去があります。しかし、もしかしたらベートーヴェンも奏者もいない「光」だけになった音楽こそ、最晩年の作品群の中でベートーヴェンが到達した境地なのでしょうか? もう一度アルバン・ベルクを聴いてみるべきなのでしょうか。いつもグダグダとすみません。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

極めて個人的な感想ですので、あまり参考にされない方が良いかもしれません(苦笑)。
そもそも最晩年の弦楽四重奏曲に僕は光だけを感じ、よほど下手な演奏でない限り、すべてが至高の音楽だと僕には思えるのです。演奏については好みがありますので一概には言えませんが、アルバン・ベルク四重奏団に限らず、ラサールでも同じような印象を僕は感じます。

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桜成 裕子

失礼します。「ベートーヴェンが感じられない」のをアルバン・ベルク四重奏団だけのことかと早とちりしてしまい、お恥ずかしいことです。岡本様の言われるように、最晩年の弦楽四重奏曲が作曲家も演奏家も入る余地のない至高の光のような音楽になっているのでしたら、私が後期弦楽四重奏曲を聴いて、今まで知っていたベートーヴェンがいない、と戸惑ってしまうのは無理のないことなのだ、とこれまた大いに合点がいきました。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

いえいえ、こちらこそ偉そうなことばかりですいません。
まずは後期弦楽四重奏曲をものにしていただきたく、いろいろな演奏でじっくり聴いていただくのが良いかと思います。引き続きよろしくお願いします。

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