翌日の東京新聞で、山根銀二が、新作曲派協会の作品発表会を批評していて、いろんな人の作品についてあれこれ書いたあと、ぼくについては、最後にたった一言、
「武満徹は音楽以前である」
と斬り捨ててるんです。それを読んでぼくはすごいショックを受けました。
~立花隆「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋)P96
批評家の審美眼などというのは所詮そんなものである。
しかし、その一方、同じく発表会に来ていた吉田秀和は、16年後にリリースされた「武満徹の音楽」全集というレコードの解説に次のように克明に書いているのだからさすがである。
そこで、私たちはすでに幾つかの曲で馴染みになっていた当時の日本の代表的な作曲家の作品とならんで、初めて武満のピアノ曲にふれたのだった。それは実に奇妙な曲だった。たしか《2つのレント》と題されていたと思うが、ややフランス印象派風の音の装いの中で、孤独狷介で人を寄せつけない厳しさをもった音楽であった。そこには音の優しさと、孤独への指向とが、今まで、どんな音楽でも経験したことのないような具合に、とけあったり、矛盾し対立しあったりしていた。しかもその曲は、あらゆる音楽の法則に背して、レントに重なるにもう一つのレントをもっており、対立と歩みよりは、外的な構造に全くよりかからず、まるで自分を表現するのを恥じるかのように、ひたすら内部へ内部へと沈潜し、音楽は前に向かって進むというよりも、ますます身を隠してゆくような出来具合をしていた。
~同上書P97-98
2つのレントの第1曲アダージョは、(今の僕の耳には)確かにどこかで聴いたことのある懐かしい旋律を持つ。まさに沈潜する、暗澹たる音調の音楽は、それでいて実に魅力的なのだ。そして、師瀧口修造の詩に基づく「遮られない休息」の、思念を見事に超え、無しか感じさせない音楽のおおらかさ、美しさ。
そういう意味では、ある詩から武満の音楽が生まれるというとき、その詩のテクストが用いられるかどうかは、あまり重要ではないということになる。武満が瀧口の詩をもとに作った曲は他にもあるが、いずれも、テクストは用いられていない。
~同上書P129
武満は、「自分の下手な音楽で、瀧口さんの詩を汚すような気がした」という。
シュールレアリストの本懐だ。
藤井一興の弾く「遮られない休息」には、息の長い音の間から聴こえる木霊によって聴く者を洗脳する(?)力が漲っている。音そのものは、もちろん抑制されたものだ。同じく沈潜してゆく武満の魂の歓喜が、時折爆発する衝撃が(第2曲〈静かにそして残酷な響きで〉)僕たちを癒す。あるいは、第3曲〈愛の歌〉の、静かな艶めかしさよ。
瀧口修造の追悼のために書かれた「閉じた眼」。いかにも武満らしい、静と動の交差する、静かだが激しい音楽に僕の心は満たされる。
人は声や音なしでは暮せないように、人は沈黙なしでも生きることはできない。
人は貧しく、水道の乏しい音にも眼をさます・・・そんな頃に私たちは出会った。
焼け跡の向うから、その人はやって来たように思われた。音の乏しいときに、音を求めてあるく少年。そのシルエットのような最初の存在から、間もなく私は生れる作曲家という人の存在をはじめて身近に知った。私にとって遅すぎたようだけれど。しかし時はただしく刻んでいた。
(瀧口修造「余白に」)
~齋藤愼爾・武満眞樹編集「武満徹の世界」(集英社)P56
二人の出会いを、こうも短い、それでいて鮮明かつ簡潔な文章で紡ぐ瀧口修造はやはり天才なのだと思う。そして、人語に落ちることのない才能に惚れた武満の、師への想いのこもる音楽のなんて哀しくも美しいことよ。藤井一興のニュアンス豊かな音色の創造が素晴らしい。