東京クヮルテット ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」ほか(1989.12 &1990.1, 5録音)

ベートーヴェンの、生活のための仕事、いわゆる出版活動にまつわる事実の解析が面白い。
作曲での苦悩よりも、それを表、つまり世の中に出すための悪戦苦闘の様子は、現代のビジネスパーソン、中でも個人事業主の苦労と実に似ており、身につまされる思いがする。

時間差多発出版。
この戦略が以後どれほどの広がりを見せて行ったのか確認すると、この問題の重要性が理解できよう。それは12次に及んでいる。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P101

中核となるのはロンドンのクレメンティ社との出版契約であり、その点がまた興味深い。

ムッツィオ・クレメンティ(1750-1831)は音楽史にはピアニスト・作曲家として登場するが、楽譜出版、ピアノ製造にも乗り出し、そして製品のセールスのためにヨーロッパ全土を旅する音楽実業家でもあった。引退してから再び作曲に集中し、大シンフォニーも書き遺した。その彼がサンクト・ペテルブルクからの帰途の途次、1806年11月から約1年ほどヴィーンに滞在する。ベートーヴェンとも交遊し、そして1807年4月20日に第1次の契約を調印する。
~同上書P103

結果、出版が成立したのは弦楽四重奏曲作品59、ヴァイオリン・コンチェルト作品61及びそのピアノ編曲版の3点だったが、2年近く経過した後も契約書に定められた報酬がベートーヴェンに支払われていなかった事実が後に発覚する。どうやらクレメンティの独断的な行動をロンドンの出版社本社が認めなかったということらしいが、詳細は不明ながらこの問題はさして大きな事態に発展せず、円満に終結しているようだ。

音楽家ベートーヴェンという視点だけでなく、人間ベートーヴェンの事実を読み込んでいくと、彼が楽聖といわれようとも、ひとりの社会人だったことがよく理解できる。その意味では、彼の作品は、すべて「パンのための仕事」だったということである。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」(1806)
・弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」(1806)
・弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」(1806)
東京クヮルテット(1989.12 &1990.1, 5録音)
ピーター・ウンジャン(ヴァイオリン)
池田菊衛(ヴァイオリン)
磯村和英(ヴィオラ)
原田禎夫(チェロ)

世は昭和から平成に移ったあの頃。
社会人になった僕は、齷齪どころか、毎日バブル景気に浮かれて生きていた。それが良い時代だったとは今となっては言えないが、何にせよそういう経験をさせてもらったことには感謝しようと思う。

日々、音楽を聴いては悦に浸っていた。
たぶん、僕は何も考えていなかったと思う。この録音は、リリースはもう少し後だから90年代末に初めて聴いたのだと記憶する。颯爽とした演奏に僕は「ラズモフスキー四重奏曲」にようやく開眼した。

久しぶりに聴いた東京クヮルテットはやっぱり素晴らしかった。

東京クヮルテット ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」ほか(2005.4録音) 東京クヮルテットのベートーヴェン「ラズモフスキー」四重奏曲(2005録音)を聴いて思ふ 東京クヮルテットのベートーヴェン「ラズモフスキー」四重奏曲(2005録音)を聴いて思ふ

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