私の《第九》は、さしあたってまだ演奏したいとはおもいません。来シーズンまたこちらへ戻ってくるところまでは確実です。演奏協会がもし仮に相応のやり方で私に接近してきたならば、いかなる事情でも私は年金演奏会を指揮していたでしょうが。
私の《第五》はもちろん改訂を加えましたから、この新作もどきはいつか(私としてはミュンヒェンかどこかで)演奏したいものです。
(1910年~1911年1月、エーミール・グートマン宛)
~ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P420
年の変わり目頃に書かれたであろうと推察される手紙。
結局、マーラーは《第九》も改訂《第五》も自身の耳で聴くことは叶わなかった。
静から動へ、そして動から静へ。まるで、輪廻転生を音化したような音楽に、一度も実際の音を聴けなかった作曲者本人はさぞかし無念だっただろう。
交響曲第9番ニ長調。スコアには、特に後半2つの楽章に関して指示が極端に少なくなっているのがわかる。マーラーの常套として、出版済みのスコアを指揮譜として用いながら都度指示を書き込み、修正していくという方法をとり、最終稿が出来上がったものだが、第9番に関してはそれが許されなかったのである。
キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団による日本初演の記録(東京文化会館)。
・マーラー:交響曲第9番ニ長調(日本初演)
キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(1967.4.16Live)
無心、無我、無為たる終楽章アダージョの美しさ。
余計な思念を加味せず、ひたすら楽譜に書かれたままを自然体で音化するコンドラシンの謙虚な姿勢は、クライマックスでの咆哮する金管群を尻目に、美しくも沈潜してゆく。
音楽の再生にも方法は様々だ。指揮者の、奏者の思念が、また感情が音の隅々にまで反映されるのを比較してみることが実に面白い。固定化された記号をどのように解釈するのか、特にデュナーミク及びアゴーギクに関して、好き嫌いを超えて精査してみると必ず新しい発見がある。存在するものすべてが正しく、またすべてが間違っているのだ。
いずれにせよ、東京で初めて鳴ったマーラー畢生の大作第9番は途轍もない名演奏だったことがこれにて証明される。
美しき哉。