神も仏も、そもそも自身の内にあるものなのだと思う。外の対象物ではないのだと。他をどれほど崇めても、そこに答えはない。結局は内なる真実にリーチできるかどうか。
アントン・ブルックナーは、生涯神を信じ続けた人だ。
ついに完成しなかった最後の交響曲を、彼は愛する神に捧げた。
それはそれは神々しい、未完成であるがゆえの美しさを持った傑作だ。
・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1998.9Live)
最晩年の筆舌に尽くし難い演奏は、均整の取れた、そして冷静沈着な、神と同義の建造物だといえようか。リリース当時、僕はしばらくこの演奏に浸っていた。おそらく十数年ぶりにあらためて正面から聴いてみて、当時受けた印象とまったく違っていないことに僕は驚いた。ここには永遠があり、また普遍がある。それでこそブルックナーが世に問うた価値のある、自身に満ちた音楽だと痛感する。そこにはもはやヴァントはいない。ただひたすら神と一体となる作曲者あるのみ。
聴衆がワンネスを感得するために、あのアダージョ楽章で終わる必要があったのではないかと思わせるほど、未完であることの意義をこの演奏の中に思う。もはや多くを語るまい。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
639年、唐の玄奘三蔵法師によって訳された般若心経は、「吾は佛なり」の境地を明らかにしているといわれる。私は本来佛なのだという日常での見性体験をいかに積むか。
僕はブルックナーの交響曲第9番のアダージョに神性(佛性)という本性を思う。
[…] 神聖な、崇高な儀式のような第9番。後年の演奏に比較して、人間臭い瞬間も多出するが(透明感と中庸・中道の表現はさすがに老練のそれには後塵を拝する)、基本の造形は何ら変わる […]