バッハが死んだとき、テレマンがバッハを讃えて贈った四行詩が実に的を射ていて、(特にその和訳が)雅で美しい。
見罷りしバッハよ! 汝が風琴の音すでに久しく、
大家なりと栄えある言葉を汝にもたらせり、汝の筆の赴くところ、一様の譜にしたたる楽の
音は、
いかにもあれ、喜びのきわみ、また時の嫉みもて、仰がれたり。
(バッハ叢書第9巻P302、渡部恵一郎訳)
~音現ブックス11「J.S.バッハの音楽宇宙」(芸術現代社)P87
当時、一世を風靡していたテレマンもバッハのオルガンの演奏には太鼓判を押していた。それからすでに270余年が経過する。それほどの時間を経ても、バッハの音楽は風化するどころか、むしろ現代の人々の魂を捉えるべく、今も光り輝いている。
35年前の、就職活動に多少の行き詰まりを感じていた頃、気分転換のために僕は大枚を叩いて(6,000円!!今や隔世の感あり)バッハのコンパクト・ディスクを買った。その音盤を久しぶりに耳にして、古典的な装いと、その浪漫的な響きにあらためて感激する。例えば、管弦楽組曲第3番ニ長調第2楽章アリアの、粘る、(哀愁零れる)叙情的な解釈。バッハは偉大だ、永遠だ。
ピリオド楽器による斬新な音も僕は好きだ。しかし、それ以上にこの演奏のような、古の雅さをここぞとばかりに思い入れたっぷりに奏する方法に一層僕は感動を覚える。
第1番ハ長調第1曲序曲の、宙から湧き上がる音楽に勇気をいただく。この堂々たる風趣は他にはないものだ。作品全体に香る明朗さ、重厚だけれど軽妙な音楽に思わず惹きつけられる。
音楽を理解しているかどうかについては、その人のバッハに対する態度によって判断してよい。バッハにうんざりするようであれば、芸術的な音楽とは何かということがまったくわからないものとみてよいであろう。
(フーゴー・ライヒテントリット)
バッハは楽譜の冒頭にしばしばJ.Jと記した。それは、”Jesu juva”(イエスよ助けたまえ)という意味だ。そして、楽譜の最後にはまたS.D.G.、すなわち”soli Deo gloria”(神にのみ栄光あれ)と記した。バッハの音楽には、たとえそれが世俗音楽であっても、大いなる信仰が垣間見える。何と崇高な管弦楽組曲であることよ。