「癒し」の加納裕生野ピアノ・リサイタル

heidscheck_kempf.jpg昨未明の地震は久しぶりに大きいものだった。もともと地震と雷は嫌いな性質で、やっぱり飛び起きた。先日のトリートメントの時にMさんからGWは危険日だと教えていただいていたので心の準備はどこかでできていたものの、「来たか!」と、身体が自動的に反応してしまった。やっぱり怖い・・・。

今朝、銀座でアポイントがあり、10:00前に歌舞伎座前で待っていたところ、待ち合わせ相手が来ないので確認したら、13:00に変更したとのこと。不覚にも変更されたことをスケジュール帳に書き忘れていたためついついドジを踏んでしまった。しかし、もともとアポイントが終了したら映画を観ようと思っていたので、これ幸い先に観てしまおうと決意し、銀座テアトルシネマに向かった。

『ラフマニノフ~ある愛の調べ』

1月の講座でとりあげて以来、ラフマニノフの音楽や生涯を多少勉強したのと、ここ最近ロシア近現代モノを連続的に聴いていたものだからどうしても観たかった映画。まぁ、こういう伝記映画は音楽家のある側面をデフォルメして大衆にわかりやすく、かつ感動的に創り上げるのが一種の技だから、期待半分という状態で席に着いた。
やっぱり予想通り。使用楽曲は例の第2協奏曲をメインに前奏曲や交響曲第1番、ヴォカリーズなど。それにしても一般的に知られているラフマニノフのイメージをそのままストーリー化して映画にした代物で、新しい発見は一つもなく、呆れた次第。平日でも連日満員という噂だったし、確かに朝10:00からの上映でもおばさま連中中心に8割ほどの入りだったから、「のだめ」の効果か、数年前までは考えられないようなラフマニノフ・ブームなのはいたしかたないとして、「そうじゃないんだよ!」と心の中で叫ぶ自分自身がいた。ラフマニノフは実は硬派な作曲家だと思うので、件のコンチェルト1曲だけのイメージで拵えた映画にはちょっと辟易した。

昼食後、2時間ほどミーティングをし、帰宅。いくつかメール・チェックをした後、今度は荻窪にある杉並公会堂へ。今夜はオール・ドビュッシー・プロを携えた「加納裕生野ピアノ・リサイタル」。愛知とし子の従姉のお嬢様ということで昨年のクリスマス・イブに代官山で開催されたデュオ・コンサート以来。あのコンサートが相当に良かったので、今回のコンサートも期待に胸を膨らませて会場に入った。ところで、前にも書いたが、ドビュッシーの音楽はどうも苦手で、一通りの楽曲は聴いているのだが、集中して聴きこんだことがこれまで一度もなく、同じフランスモノでもフォーレやラヴェルに比較してピンと来ない作曲家であった。「あった」と過去形にしたのは、今日の裕生野さんの演奏を聴いてみて(オール・ドビュッシー・プロなどこれまで聴いたことがなかったし、あったとしてもわざわざチケットを買ってまで行く気もしなかったから)、どうやら少しばかりドビュッシーを聴く楽しさ、良さがわかりかけてきたように感じるからである。
ホールは音響も素晴らしく、彼女の柔らかい音色の演奏が輪をかけて夢見心地の雰囲気を醸し出してくれたと思うのだが、ドビュッシーは、ジャズであると同時に視覚で聴く音楽なのだと実感した。これまで自分にクラシック的な聴き方を強いてきたから「聴きにくかった」んだと気づいたのである。あえて目を閉じてみると、印象派の作曲家らしく耳に入ってくる音から「映像」が浮かび上がる。そしてその「映像」を心で感じ、耳にすることでこの大作曲家の真髄が手に取るようにわかるように思うのである。それと、音楽の専門的なことは不案内なので言及は避けるが、どうもJazzの要素が色濃く、アンドレ・プレヴィンやキース・ジャレットにドビュッシーを弾かせると相当Coolな演奏を聴かせてくれるのではないかと想像したりもした。とにかく加納裕生野さんの弾くドビュッシーは素晴らしかった。人を元気にしてくれる「癒し」に満ちたコンサートだった。お陰でドビュッシーを真面目に聴き込み勉強してみようかという気になった。感謝です。

ハイドシェック:ヴィルヘルム・ケンプに捧ぐ
エリック・ハイドシェック(ピアノ)

ここ2、3日変奏曲を集中的に聴いている。昨日の「ディアベリ変奏曲」をヴァレリー・アファナシエフが超スロー・テンポで弾いた音盤も抜粋で聴いたのだが、ここではブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24」をとりあげる。1991年にハイドシェックによって開かれた「ケンプ追悼コンサート」からこのブラームスとベートーヴェンの第30番が出色の出来。ブラームスは変奏曲の作曲が抜群に上手く、ほかにも「ハイドン変奏曲」や「パガニーニ変奏曲」などを書いているが、この「ヘンデル変奏曲」が最も内容濃い(と僕は思う)。人を元気してくれる「愛」の音楽、それはハイドシェックの奏でる音楽。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » ラウラ・ノッキエーロ~ショパンと印象派の夕べ

[…] 1年で最も日の長い日。そして高い湿度と気温によって蒸し返されるようなこんな日に、こういうドビュッシーが聴けるとは天の配剤か、それとも僕の持って生まれた幸運か。 数年前、僕にクロード・ドビュッシーの世界への扉を開いてくれたのは加納裕生野のピアノだった。あの時のプログラムも確か「前奏曲集」だったように記憶する。 作曲家の晩年の、ジャズ音楽につながりゆく音楽イディオムを最大限に駆使し、孤高の境地を示したこの曲集を一言で語るのは真に難しい。それこそあらゆるドビュッシー演奏を享受した後にようやく語ることを許されるのではないかという、それほどに神がかった至高の作品群。 […]

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