シェリング ロジェストヴェンスキー指揮ロンドン響 プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番ほか(1965.7録音)

抑圧されていたものが、一気に爆発する時のエネルギーは実に凄まじい。
人間の内奥の、特に負のパワーというものは、周囲を(あるいは自らの心身を)根こそぎ破壊するだけの力がある。

ジャン・シベリウスは苦悩の人だったが、常人には計り知れない大いなる創造行為によってかどうか、長寿を全うした。

1957年9月、シベリウスが朝の散歩に出ていたとき、アイノラの上に鶴の隊列が飛んできた。シベリウスははしゃいで「私の青春の鳥たちが、そらそこに!」とアイノに言った。その中の1羽が列から離れ、少しの間旋回して群れに戻った。次の日の夕方、シベリウスはヘルシンキに指揮をしに来ていたイギリスの指揮者マルコム・サージェント卿と電話で話をした。それから2日後の9月20日に、彼は朝食のテーブルで突然倒れた。慌ただしくアイノラに呼ばれた医師は、脳出血と診断した。少しずつ意識は薄くなり、その夕方、ヘルシンキ大学講堂のコンサートで《第5交響曲》が鳴り響いている頃、シベリウスは息をひきとった。
マッティ・フットゥネン著/舘野泉日本語版監修/菅野浩和訳「シベリウス―写真でたどる生涯」(音楽之友社)P84

いかにもという後付けのようなエピソードだが、大芸術家といえど、死の瞬間は実にあっけない。ガブリエル・フォーレの場合と同じく、数多の傑作たちが、シベリウスの生きた証として遺されたことは後世にとって何ものにも代え難い贈り物だ。

・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
・プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調作品63
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ロンドン交響楽団(1965.7録音)

この録音は本当に素晴らしい。(シベリウス自身が太鼓判を押した)シェリングの独奏はもちろんだが、何よりロジェストヴェンスキーの、まるでロシアのオーケストラを操るかのような、咆哮する金管群の音圧に言葉がない。何より第2楽章アダージョ・ディ・モルトの深い憂いを湛えた哀しい旋律が、僕たちの感性を刺激する。

そして、プロコフィエフの第2番ト短調の激情に、あらためてこの作品の美しさを思う(指揮者の思い入れはむしろこちらの方が深いか)。特に、第1楽章アレグロ・モデラートのオーケストラとヴァイオリン独奏が音楽に共感し、一体となって表現する様子が実に熱い。続く第2楽章アンダンテ・アッサイの、冒頭ピツィカートの伴奏に乗って歌われるヴァイオリンの旋律の可憐さ、伸びのある肯定的な響きに思わず唸る。そして、第3楽章アレグロ・ベン・マルカートの弾ける愉悦の舞踏に、抑圧からの開放を思う。

長い間、ヘンリク・シェリングは、どちらかというと単に踏み外しのない、優等生的な演奏をする人だというイメージを持っていたが、その印象を覆してくれたのがこのシベリウスとプロコフィエフ。生命力溢れる灼熱の演奏に今も僕の胸は火照る。

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