
愛するクララ、では少し陽気なお話をしましょう。こんな話では気が滅入りますからね。
オッテンの誕生日にはボイエとフィリップ・エマヌエル・バッハのヴァイオリン・ソナタを弾くつもりです。
医者からの書面を同封します。この調子でゆけば望みがありそうですね。僕は今、水浴療法のことで頭が一杯です。それについては私どもはたしかにもっと真面目にお話しし検討しなければなりません。僕は水と—大自然の治癒力をひじょうに信仰しています。
僕が病気になりあなたが居合わせておいでの時には、どうかすぐにそうした療法に送ってくださることをかたくお願い申します。
(1856年2月5日付、ヨハネスよりクララへの手紙)
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P72
師ロベルト・シューマンを思うヨハネス・ブラームスの心情が、かくも身近に感じられようか。ブラームスは、目に見えない力をやはり信じていたことがわかる。最晩年のブラームスは次のように語る。
私の信仰は主に、否定しようのないある事実に基づいている。それは、どの時代のどの国の者も、墓場の向こうの生命への信仰に常にすがりついてきたということ。少なくとも、彼らには霊的により進んだ指導者がいた。もちろん来世を信じない者は常にいるが、それは重要ではない。古代において、広い地域に互いに何の関係もなく非常に多くの異なる種族が生活しており、彼らが来世を信じていたのが事実であることは、私の考えでは、それが創造主の手で人類の胸に埋め込まれている証拠なのだ。
~アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P80-81
大宇宙と小宇宙の連携の成せる天才の筆は、後世にも大いなる影響を与えた。そこには、言葉にならない、かつ科学的には証明のしようがない天意というものが常にあろう。若きヨハネスが当時手掛けていた変奏曲の主題は自作によるものだ。同じ手紙の中で、彼はクララに向け、次のように問いかける。
変奏曲はお気に入らなかったでしょうか? 郵便がどんなに長くかかるか、僕の意見がどんなに長く届かないか、今気づきました。
つねにあなたを昔のままの愛情のうちに想い、その想いはつねに新しく深く
僕をどうか愛してください。
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P72
何と溌溂とした、愛情に溢れる音楽であることか。11の変奏がまたそれぞれ創造的で素晴らしい。
劈頭を飾る変奏曲作品21-1と掉尾を飾る左手のためのシャコンヌが、本アルバムの聴きどころ。落ち着いた、バッハの静かな信仰心をブラームスが左手のための練習曲としてピアノのために紡いだマスターピースを、いとも容易く、そしていかにも女性的に、柔和に音化する様子が見事に刻印され、アナトール・ウゴルスキの名演奏とはまた違った意味で心に沁みる。