朝比奈隆のベートーヴェンの中でも、新日本フィルとのこの第2番ニ長調や第4番変ロ長調は想像以上に素晴らしい。実演の記憶はすでに色褪せてしまっていたが、音盤を再生してみて、あらためて当時の御大の充実ぶりを思った次第。
私は必ず前のCDやテープを聴いていますから、同じ間違いはしないようにするんだけど、まあベートーヴェンがえらいのかこちらがとんまなのか(笑)、何度繰り返しても違うエラーがある、という欠点があるんですな。そこがやらなくなってもほかでやっている。まずいちばん多いのは、あるまじきことながらテンポが揃っていない。ごく基本的な棒の振り方がうまくないのと、楽譜の見方が不充分なんでしょうな。いくらやっても満点にはならないんです。
(1998年6月22日、大阪フィルハーモニー会館で)
~岩野裕一「朝比奈隆 すべては『交響楽』のために」(春秋社)P182
朝比奈隆は自省の人だ。そしてまた、地道な努力の人だと思う。自分の欠点を知り、それを少しでも良くしようと最後まで自分自身と闘った。
ええ、立派な作品が背負いきれないほどありますから。それから、いちばん嬉しいことは、日本中のオーケストラ、とくに大阪や東京の大きなオーケストラの演奏能力がものすごく上がっていることです。「我が子ながら・・・」といいますが、大阪フィルにしても、それから先日ベートーヴェン・チクルスをやった新日本フィルにしても、プレイヤーの質がぐんと上がっています。結局は個人の集団ですから、みんな上手くなって、見通しは明るいですよ。
~同上書P182
ベートーヴェンの作品の素晴らしさもさることながら、あくまで演奏者はオーケストラであり、彼らの技量の進歩を朝比奈は絶賛する。
このあいだも、岩城(宏之)君から、「先生、ずいぶん棒が上手くなりましたね」と言われましたよ(笑)。そんなことを言ってくれるのは彼くらいです(笑)。まあ、棒の不器用からくる音の乱れというのは、テープを聴くと歴然としていますからね、自分でやろうとしていないことをやってしまっている。これからも切磋琢磨は続けていかなくてはなりません。
~同上書P183
朝比奈隆の謙虚さここにあり。その姿勢こそが、御大に幾度もベートーヴェンやブルックナーを、それも死ぬまでとり上げ続けさせたのである。
ベートーヴェン:
・交響曲第2番ニ長調作品36(1997.11.12Live)
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1998.3.16Live)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
青春のニ長調交響曲は、朝比奈御大の手にかかれば、実に堂々たる大交響曲に変貌する。同じく「傑作の森」の入口に位置する変ロ長調交響曲も、その第1楽章序奏アダージョの幽玄かつ重厚な響きを聴けば、ロベルト・シューマンのいう「ギリシャの乙女」などではなく、むしろその後の交響曲群を凌駕するだけの力とエネルギーを持つものだということが自ずとわかる。
どうも若い連中は東京に出たがりますが、せめて私だけは、ここまで関西でお世話になってきたわけですから、老後とはいえ、「どうもありがとうございました」といって大阪を離れるなんてことはできません。まずは、95歳まで指揮したストコフスキーを目標に、大阪をふるさととしてやっていきますよ。
~同上書P184
残念ながらこの言葉は実現しなかったが、晩年の朝比奈隆の演奏に幾度も触れることができたことはとても幸運だったと思う。朝比奈のベートーヴェンはやっぱり熱い。
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