スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン ブラームス 交響曲第2番(1984.2録音)

エドゥアルト・ハンスリックによるヨハネス・ブラームスの交響曲第2番初演評。

ブラームスの新しい交響曲は、健康的な若々しさと清らかさで光り輝いている。そしてじっくり耳を傾け、深く考えてみるだけの価値が十分ある一方、いつ聴いても実に分かりやすい曲でもある。曲は今までにないほどの新しさに満ちており、どこにも深いな意図が感じられず、打ちひしがれた者の心に新たな決意をうながすものがある。また音楽とは程遠い芸術分野へ目をそらすこともなく、文学や絵画にひざまずいて、卑屈で厚かましい物乞いもしない。すべてが純粋に音楽的に受けとめられ、表現され、純粋かつ音楽的に我々に働きかけるのである。
(1877年12月30日、ウィーン・フィルハーモニーのコンサートでの世界初演評/指揮:ハンス・リヒター)
日本ブラームス協会編「ブラームスの『実像』—回想録、交遊録、探訪記にみる作曲家の素顔」(音楽之友社)P14

ここでは手放しの絶賛が繰り広げられるが、一方で、ハンスリックは、ワーグナーやリストの芸術を全否定する。陰陽相対の世界の中で、あえて対照を挙げるのは西洋論理手法の最たるものだが、今やその両方の芸術観を知り、ブラームスとワーグナー双方の相手に対する思いを知っている僕たちは、批評家というものの独断と偏見、それに紐づく勝手さ、不埒さを感じずにはいられない。僕たちは、すべては正しく、またすべては正しくないのだということを今一度知らねばならぬ。

ブラームスが教育者の立場で怒れば怒るほど、私はしゅんとなり「でも若い世代を支配している混乱した思想は、ワーグナーに原因があるでしょう」などど、余計な口を挟んでしまった。おかげでブラームスはさらに気分を害し、完全に黙りこんでしまった。あげくに、
「ばかげている。君がはまっているのは“まちがったワーグナー像”だ。彼に心酔して血迷っている連中は、真のワーグナーを何もわかっていない。ワーグナーはかつてこの世に存在したなかで、一番頭脳明晰な人物なんだよ!」

(リヒャルト・ホイベルガー)
ホイベルガー、リヒャルト・フェリンガー著/天崎浩二編・訳/関根裕子共訳「ブラームス回想録集2 ブラームスは語る」(音楽之友社)P20

どんな世界も勝手な批評家の論と、それを鵜呑みにする受け手によって成り立っているようなものだ。すべては幻想であり、また茶番であることを知らねばならない。

オトマール・スウィトナーのブラームス。
何と正統な、踏み外しのない、慈しみに溢れた自然讃歌であろうか。

・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン(1984.2.6-10録音)

ベルリンはイエス・キリスト教会での録音。
西側にはなかった、東ベルリンの、何ともくすんだ響きというのか、しかし、そこにこそ真実を垣間見ることのできる堂々たるヨハネス・ブラームス。メンバーの技術は徹底的に磨かれ、文字通り一つ一つの音を楽しむように、音楽は浮沈する。爆発の瞬間も静けさに溢れるときも、そこにはいかめしいブラームスはいない。何と優しい、好々爺然としたブラームスの笑顔を髣髴とさせる安定の名演奏。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポの陽気、また第2楽章アダージョ・ノン・トロッポの愁い、そして心弾む第3楽章アレグレット・グラツィオーソを経て、終楽章アレグロ・コン・スピリートの爆発に拍手喝采。世界にそもそも是非はない。

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