明朗な曲想にも関わらず、何と哀しい音楽なのだろう。
モーツァルトには光と翳がいつどんな時も明滅するが、誰の演奏にも増して「翳」の部分を強調してしまうのがクララ・ハスキルその人だ(少なくとも僕にはそう感じられる)。
ピアノ協奏曲ヘ長調K.459第1楽章アレグロでのハスキルのピアノは愉悦に富む(ただしそれは決して弾けない)。一方、第2楽章アレグレットの心底からにじみ出るピアノの音色の儚さよ。ハスキルは、28歳の、当時絶頂の極みにあったモーツァルトの、近未来の苦悩を想像してなのか、何と切ない歌い方をピアノに強いるのだろう。そして、続く終楽章アレグロ・アッサイは、フリッチャイの独壇場。重低音の効いた、深みのあるオーケストラの響きが、ハスキルのピアノに華を添える。モーツァルト作のカデンツァが、玉を転がすように可憐に奏される瞬間の新鮮さ。何て心が洗われるのだろう。
また、ピアノ協奏曲イ長調K.488の、ゆったりとしたテンポで開始される冒頭オーケストラ提示の厳かさ。確信をもって音楽を指揮するザッヒャーは、徐にハスキルに音楽の主導権を渡す。受け渡されたハスキルのピアノがまた静かで、雅で、実に心地良い。明朗な音調の中で沈潜するモーツァルトの心の機微を、これほどまでに実存的に奏したピアニストが他にあろうか。ハスキルは間違いなくモーツァルトの魂に印心しているようだ。
ちなみに、K459は1784年12月11日に、そしてK.488は、1786年3月2日に完成されている。
1784年の11月1日、モーツァルトは秘密結社フリーメイスンに加わることを申請し、12月14日「ツァ・ヴォルテーティヒカイト」(善行)分団への入社を認められた。そして、翌85年の1月初めには、「徒弟」から早くもフリーメイスンの第2級「職人」へと進級を許されている。
~高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P343
モーツァルトの音楽は飛翔する。ハスキルのピアノは、おそらく無意識にその飛翔を阻まんと、無心に抑制する。
フリーメーソンは、たんに個人の道徳的・知的な領域において人間形成を目指すだけではなく、共同体を構成する人間と人間の交わりを通して社会全体を完成していく作業に参加する。その目標の実現にもっとも必要となる理念として、個人の場合には「自由」、他者との社会的相互関係においては「平等」と「友愛(兄弟愛)」が選ばれ、その目標の実現を証明する理念が「幸福」あるいは「喜び(歓喜)」と考えられたのである。
~リュック・ヌフォンテーヌ著/村正和監修「フリーメーソン」(創元社)P3-4
フリーメイスンの実体については僕には何もわからない。しかし、少なくともモーツァルトが刺激を受けた、触発されたその思想、その実践という意味において、彼の音楽には飛翔する自由と、森羅万象への愛が込められているように思う。