早朝のミーティングにて

東京大学や早稲田大学にはやはり気の利いた(といっては失礼な言い方なのだが)学生がまだまだいるものなんだと痛感した。今朝いつものようにIさんのところで「早朝ミーティング」に参加して、僕は黙って彼らが話すことや姿勢、素振りを見ていただけなのだが、そう感じた。
ちょっと前までは今の学生に対する失望感の方が先行していた。しかし、今日のような機会やとあるベンチャー企業で学生と対峙する機会をもつようになって少しずつ考えを改めるべきだな、と思うようになったのである。
マスコミで連日報じられるネガティブな情報。それも若者の堕落ぶりを書きたてるようなニュース。もちろん、総じて「若者がやる気をなくしている」という傾向は実際あるのかもしれない。しかし、「しかし」である。明日の日本、世界を担うリーダーになりうる若者も間違いなく存在する。そして、彼らは貪欲に一流といわれる諸先輩から「何か」を学び取ろうと必死になっているのである。ともかく日曜日の朝6:30という早朝に集まってくる輩である。僕自身が学生だった頃とは比較しようもないほど彼らの目の輝きは違っている。そして話す内容がそもそも違う。

そんなことを思い返しながら家路につく。都心とはいえ、初冬の早朝の冷たい空気は気持ち良い。今日のような雲一つない晴れ渡った日には余計に早起きが心地よく感じるものである。

リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲作品64
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

シュトラウスが少年の頃、ドイツ・アルプスを登山したときの思い出がこの楽曲の元になっているようだ。とにかく舞台一杯に広がる総勢百数十名のオーケストラと、舞台裏にも20数名の管楽器を必要とするゆえ、実際に生で体験すると、光景もさることながらその音量の凄まじさが実感できる。交響曲という名がつくものの、実際は演奏時間50分を越えるシュトラウス自家薬籠中の大交響詩。
「夜」~「日の出」から始まるこの魅力的な「標題音楽」は、とてもかっこいい。
ちなみに、数多の名盤が出ているが、一推しはカラヤン盤。一糸乱れぬアンサンブルと絶妙の楽器バランス。この楽曲に限らずリヒャルト・シュトラウスといえばカラヤンが指揮したものを第一に推したくなる。

※今夜はどうも風鳴りがひどい。アルプス交響曲の終盤、「雷雨と嵐、下山」の部分ではウィンドマシーンとサンダーマシーンが登場する。聴きどころだ。

⇒旧ブログへ


2 COMMENTS

アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 空と大地と海と

[…] 空と大地と海と・・・。これがわが地球のすべて。昨日はドビュッシーの「海(ラ・メール)」を聴いて涙した。「海(ラ・メール)」とくれば、やっぱり「山(ベルク)」。「山」にまつわる数ある名作の中でとっておきは「アルペン・シンフォニー」。R.シュトラウス一世一代の傑作だと信じて疑わない、自然の大いなる英知を音化した音楽。これほどのものは西洋古典音楽史上珍しいものだと思われる。この作品においてはカラヤンがベルリン・フィルと録音したものが最右翼だと確信するが、もうひとつ僕の音楽遍歴史上においても重要な音盤がある。朝比奈隆がシカゴ交響楽団に客演するきっかけとなった20年前の芸術劇場におけるライブ。実際に会場で耳にした僕は、あの時の強烈な音響効果と、心身までもっていかれそうな感動を忘れることはない。80年代の不調期からまさに復活を遂げた朝比奈先生の「狼煙」のようなコンサートだった。そのことをまざまざとリアルに思い出させてくれるCDがこれ。 […]

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む