親離れ&子離れ

schuricht_wagner.jpg日本武道館で東京大学の入学式があった。祝辞で建築家の安藤忠雄氏が新入生、父母双方に対して「親離れをするよう」促す一幕があったらしい。3200名の新入生に対して父母が5300名。全く異様な光景であることが想像できる。子が成人していく中で親離れをすることは至極当然なのだが、最近では親離れできない幼稚な若者が増えている。子どもも子どもだが、より問題なのは親の方。いつまで経っても「子離れ」できない親が多い。親が子に愛情を、それも無条件の愛情を与えることは重要なことだが、「溺愛」になってしまってはいけない。「愛」を与えることは一方で相手を信じることでもあり、双方が自律することで初めて全うな関係が成立するのであり、こういう親子愛は一方通行的なもので、おそらく親が子を真に信じることができていないのだろう。

僕の主宰する「人間力向上セミナー」の目的は「自分を知る」ことであり、自己と他者を受容する術とそれがどういう状態なのかを体感的かつ理論的に学ぶことである。2日間でまさに「人間」というものを垣間見ることができる。これまで何年間もそういう場を目の当たりにし、何千人という若者と接してきた経験から思うのだが、その人の持つ人間的な問題の根源は家庭環境であり、親の育て方、接し方であるということ。最近は仕事でも結婚生活でも長続きせず、簡単に辞めてしまったり、離婚したりするケースが多い。離婚の場合に限っていうと、親が、それも母親が子離れできておらず、夫婦間の亀裂の原因を作っていることが多い。人間はもともと依存的な生物だと思うのだが、親子においてはできるだけ早いうちに「自律」を促さないと大変なことになる。溺愛し、愛情をいっぱい与えているという親に限って、実は子を束縛しているだけで、本当に「愛」を与えられていない-つまり受け容れていないことが多い。

東大に限らずいわゆる今の優等生は人間的なバランスが極めて悪い。勉強ができることだけが全てではない。何事にもチャレンジし、時には失敗をし、挫折を知り、人間として「温かみ」、他者の気持ちが理解できる人間になれるよう努力するべきだろう。

シューリヒト・コンダクツ・リヒャルト・ワーグナー
カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団

昨日に引き続きシューリヒトを聴く。彼の演奏するワーグナーも颯爽たるテンポで非常に気持ちが良い。1曲目は、最晩年(死の10ヶ月前)の録音である舞台神聖祝典劇「パルジファル」第1幕前奏曲。何もせず軽く流すように創られた音楽であるが、悟りを開いたかのような得もいわれぬ「澄んだ恍惚感」が印象的。この前奏曲には聖母マリア的な「母性」を感じさせる何かが存在する。そして、最後に配置されているのが同じく「パルジファル」からの第3幕フィナーレ。
「母性」を内に秘めたクンドリーが安らぎのうちに息をひきとるシーン。まさに女性の死による救済。老指揮者による最後の到達点ともいうべき至高の表現。

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