自分はこれまでにいちども愛の幸福を味わったことがないので、あらゆる夢のなかでも最も美しいこの主題のために一つの記念碑を打ちたて、そこで愛の耽溺のきわみを表現したいと思ったのです。こうして「トリスタンとイゾルデ」の構想を得ました。それは単純このうえないが、また、まったくまじり気のない音楽的構想です。
(1854年12月16日付、フランツ・リスト宛)
~日本ワーグナー協会監修/三光長治/高辻知義/三宅幸夫編訳「トリスタンとイゾルデ」(白水社)
心静かな「トリスタンとイゾルデ」前奏曲。
もう少しうねりや熱さを伴った演奏でもよかろうに、「愛の耽溺」どころか、パッションは内へ内へと燃え滾る。そして、意外にも颯爽たるテンポで突き進む「イゾルデの愛の死」。
しかし、その速めのテンポによる、恐怖を超えた「死の幸福感」は、死が必然であり、新たな生の始まりであることを暗に示すようで、ここにクルト・ザンデルリンクの解釈の素晴らしさを僕は見る。まさにイゾルデの浄化ここにあり。
そして、十八番のブラームスは、ハイドンの主題による変奏曲。一つ一つの変奏を、思念を込めて重厚に表現する様子はほとんど老練の響きだが、これはザンデルリンク57歳の時のもの。クルト・ザンデルリンクはいつの時代であろうと素晴らしい。
一方、ダヴィッド・オイストラフの弾き振りによるベートーヴェンのロマンス第1番は、オイストラフらしい柔らかく豊かなヴァイオリンの音色の素晴らしさ。また、オイストラフの指揮によるシューベルトの交響曲第2番も、速めのテンポで若きシューベルトの可憐な性質を実に明快に描く。終楽章プレスト・ヴィヴァーチェなど、何て立派な響きなのだろう。