ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル チャイコフスキー 交響曲第4番(1960.9録音)

短期間にいかに丁寧に拵えられたレコードだったかということがわかる。
強烈な音圧ながら、決してうるさいだけの演奏ではなく、抒情があり、雄渾があり、音楽は終始極めて有機的だ。

エディンバラとロンドンのコンサートの合間に、ムラヴィンスキーはオーケストラの89人の団員たちをウエンブリー・タウン・ホールに連れて行き、9月14日と15日にチャイコフスキーの交響曲第4番を録音した。このセッションには「レコードとレコーディング」誌の人が見学していて、次のように書いている。

ベストを期す完璧主義の例。水曜日午後の大部分は最終楽章のコーダだけの録音で終わった。(略)ムラヴィンスキーは注意深く、オーケストラの各セクションをパートごとに分けた—打楽器グループさえも単独に練習した。その結果、理想的な演奏が得られたが、オーケストラの団員たち自身が間違いをしたと認めると、ムラヴィンスキーは分かったと合図を射、「やはり、コーダを始めからもう一度」と付け加えた。そして最後の「テイク」の時には、楽員たちの素晴らしい妙技となり彼らの自発的な熱意が表わされた。弾き終えた後、音楽を何度も細かく分析したことに対して、疲労や退屈した気配はほとんどなかった。
グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P235-236

当時のオーケストラの機能が、指揮者による独裁でなかったことがよくわかるエピソードだ。こういう自発性が、ムラヴィンスキーの神がかり的な音楽作りと掛け合わされて唯一無二の名演奏が生まれたのだろうと思う。

・チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1960.9.14-15録音)

ムラヴィンスキーが心身共に最も充実していたであろう57歳の時の録音。
情を排除した即物的な解釈でありながら、胸を打つ、胸のすく圧倒的な音楽。
一分の隙もなく、怒涛の波状攻撃で金管楽器も木管楽器も、そして弦楽器も音塊となって聴く者を襲う。圧巻は、コーダのとり直しをしたという終楽章アレグロ・コン・フォーコの猛烈なスピードの中で一糸乱れることのないアンサンブルを披露するレニングラード・フィルの驚異的な演奏力!!

チャイコフスキーは指揮者の犠牲者だった。年々、解釈はますます大げさに、ますますヒステリックに、見せかけの感情に溢れたものとなり、当然のことながら、彼の音楽は趣味の悪いものとなった。(略)この趣味の悪さは彼の音楽にあるのではない。この音楽を演奏した人々にあるのだ。
~同上書P116

ムラヴィンスキーの、信念に裏打ちされた孤高の解釈に膝を打つ。
こうでなければならなかった、否、こうでなければならないのである。
エソテリックの復刻によるSACDHybrid盤(今や定価の10倍近くで売買されているので買っておいて良かった)。

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