コチシュ ハウザー シェーンベルク 室内交響曲第1番(4手ピアノ版)(1989.10録音)ほか

アーノルト・シェーンベルクは、単一楽章で、簡潔さの中により深化した音楽を創造することに成功したと自負する「室内交響曲第1番」は誰にも受け入れられる傑作だと考えていたが、残念ながら思うような結果を得ることはできなかった。

シェーンベルクは、聴衆が自分と同じように旋律や曲の雰囲気に直接反応してくるだろうと期待していたのだが、そうとはならなかった。この初演は、大スキャンダルとなったのである。通俗紙の批評家には「自尊心のある人間なら決して音楽だと思い違いするはずはない民主主義者たちの無法な騒音」(『ヴィーナー・エクストラブラット』1907年2月9日)とまで書かれた。
石田一志著「シェーンベルクの旅路」(春秋社)P94-95

革新が保守の色を染めるには相当の時間を要するのだと思う。このときも、マーラーただ一人がシェーンベルクの音楽の擁護者になったのだという。わかる人にはわかるのだ。時代の一歩先を見る力こそ最大最善のものであり、この先何がトレンドになるのかを察知、洞察する力は、真理そのものと合一せねばならないとつくづく思う。

作曲者自身の編曲による4手ピアノ版の室内交響曲。
初演から120年近くを経ているからなのか、耳障りはない。もちろん僕たちの耳がシェーンベルクの音響そのものに慣れてしまったということはあろうけれど。オリジナル版や管弦楽版に比して、むしろこの単色で描かれる4手ピアノ版のシンプルな美しさこそ、本来シェーンベルクが聴衆に求めた期待を十分に叶えてくれる術なのではないかとさえ思うくらい音楽は素であり、静謐であり、しかしエネルギッシュなのだ。それは、やっぱり演奏者の力量が大きい。

・バルトーク:パントマイム音楽「中国の不思議な役人」作品19 Sz.73(1918-19)(作曲者編曲による4手ピアノ版)(1988.8録音)
・シェーンベルク:室内交響曲第1番作品9(1906)(作曲者編曲による4手ピアノ版)(1989.10録音)
ゾルターン・コチシュ(ピアノ)
アドリエンヌ・ハウザー(ピアノ)

バルトークの「中国の不思議な役人」は、グロテスクな台本にもかかわらず、音楽は(今となっては)それほど狂気には感じられない。それよりも、動的な、めくるめく音の万華鏡のような構成に、100余年前の作曲家のセンスに歓喜するばかりだ(明らかにストラヴィンスキーの影響を受けてはいるが)。しかも、この大それた音楽をピアノ4手で上手に表現しようとすると、相当のテクニックと共感が必須だと思われるが、ここでのコチシュは当然ながら、ハウザーの指も縦横無尽で、実に心地良い。

バルトーク本人もあの秘密めいた生活や結婚を考えると、あまりノーマルとは言えない。自分の生徒だった人を二人も奥さんにしている。ナイーブな若い娘さん、誰と人生を共にするか、きっと知らなかっただろう。
「バルトークは、自分の周りで何が起こっているかあまりよく分かっていなかったんだよ。頭の中は音楽の事でいっぱいだったと思う。あれだけの作品を後世に残す人というのは、世界で何が起こっているかに注視したり反応してはいられないだろうから」

ファーイ・ミクローシュ&コチシュ・ゾルターン著/梅村裕子訳「コチシュ・ゾルターン―記載音楽家の一年を追って」(現代思潮新社)P33

コチシュの言う通りだと思う。芸術家とはそういうものだ。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む