中性的なデイヴィッド・ダニエルズのリナルドを聴いて、あの透明感と解放感はどこから来るものなのかと思っていた。
なるほど彼は、自身もゲイであり、セクシャリティに関してはとてもオープンな人だと知った。
僕の個性の大部分はゲイであることが占めている。
それは僕の歌にも影響している。
~The Guardian 2001.8.23
テノールからカウンターテナーに転向以降、彼の人気に一躍火がついた。
ダニエルズはカウンターテナーにあくまで男性性を求めると断言する。とにもかくにも歌を通じて男を描き出したいのだと。
古来、僧職は男の世界であった。色気を感じさせない中性的な声、それには去勢されたカウンターテナーの清澄な声が最も心に響いたのではなかったか・・・。
夜更けとともに癒しのアレッサンドロ・スカルラッティ。
疲れ果てた精神と身体に染み入るオアシスの如く、バロック初期の音楽が鳴り渡る。
・アレッサンドロ・スカルラッティ:ソロ・カンタータ集
デイヴィッド・ダニエルズ(カウンターテナー)
ニコラス・マッギーガン(指揮、チェンバロ)
アルカディアン・アカデミー(1998.3&4録音)
気品のある歌。
しかし、アレッサンドロは当時のメディチ家の当主フェルディナンドからは「あなたの音楽は難解で、鬱病質に過ぎる」と言われたのだという。確かに、その音楽の様相は暗いと言えば暗い。
ただ、それだけ魂に響く旋律をもち、逆に安寧を獲得する力に漲る音楽であることは間違いない。
当時の人々には早過ぎたのだ。
天才の技とは得てしてそんなもの。
また、心を込めて見事に音化し、僕たち聴衆に届けるデイヴィッド・ダニエルズの何と高貴な歌唱!
思考を止めて、ただひたすら300余年前の音楽に浸る。美しい!!
二つのものが一つになり、そして外に向かうものが内に向かうものの如くになり、男性的なものが女性的なものと合体するとき、それは男性的なものでもなく女性的なものでもない。
(「クレメンスの第二の手紙」より)
~C.G.ユング著/林道義訳「元型論」(紀伊國屋書店)P202
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アレッサンドロ・スカルラッティ( 1660年5月2日 – 1725年10月24日)と近松 門左衛門(1653年 – 1725年1月6日)は同時代人で、没年が同じことに気付きました。
そこで、私が所有している唯一の歌舞伎のDVDをご紹介します。
「女殺油地獄」
片岡仁左衛門(十五代目)、 片岡孝太郎 他
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ちなみに、コレッリやパッヘルベルと近松は同年生まれ。
デイヴィッド・ダニエルズと十五代目仁左衛門丈を比較して鑑賞するのも、案外乙なものかも? (笑)
>雅之様
歴史の同時代性というのは興味深いですね。
片や近松ですか!
しかし、僕は日本の古典芸能に疎く、歌舞伎などもかじった程度で無知でございます。
勉強してみたいのですが、時間が・・・(笑)
>デイヴィッド・ダニエルズと十五代目仁左衛門丈を比較して鑑賞するのも、案外乙なものかも?
乙ですねぇ!