クレンペラー指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第5番(1968.6.2Live)

彼は定期演奏会を嫌悪していた。1960年代の終わりには音楽週間の期間に、5回の一連の演奏会を指揮した。そのときの彼の指揮ぶりについて、ウィーン・フィルハーモニーの楽員ホルスト・ミュンスターはこう語っている。「彼は自分の身体の動きを懸命にコントロールしようとし、それで精力をすり減らして、音楽そのものに入ってゆくことができなかった。」彼は、演奏会場の上を飛行機が通ったりすると、その爆音をコントラバスの強音と聴き違えたりした。そこで楽員たちは、耳の遠い、気難しい老人のプローベに神経を使い、指揮者の指示がはっきりしなくてもどうにか演奏をつづける術を身につけていった。楽員たちの目線はコンサートマスターの身ぶりに集中された。もしなにか不都合が生じた場合、それによって調整された。
ルーペルト・シェトレ著/喜多尾道冬訳「指揮台の神々—世紀の大指揮者列伝」(音楽之友社)P208

何とも生々しくも痛々しいエピソードである。しかし、残されたウィーン音楽週間のコンサートの記録は、いずれもが「超」のつく名演奏であり、身体が不自由であるがゆえ生み出された音楽の深遠さは他を冠絶する。クレンペラー自身が音楽そのものに入ってゆけなかったとは僕には到底思えない。

ただ、証言に嘘はないだろうゆえ、実際に指揮者はそういう状態だったのかもしれない。しかし、それでも途轍もない巨大な音楽を作り出せたのは、老練の指揮者のオーラによるものか。

彼は自分自身に関しても容赦ないものの言い方をした。彼は一度ウィーンでコンサートマスターから内密に「社会の窓」が開きぱなしなのを指摘されたことがあった。それに対して彼はただこう言っただけだった。「お気遣いなく、どうせあれが見えたところで(役)立ちはせん年なので!」ものを言うときに、いかなる摩擦も恐れない率直さは、彼の演奏の解釈にもあらわれている。クレンペラーは演奏するとき、美しく見せかけるためのいかなる化粧もほどこさない。彼の場合すべては、明白で、透明で、この上なく率直だ。
~同上書P210-211

率直どころか、ほとんど幼稚な罵詈雑言ととらえることもできる。おそらくそういうとき、彼は躁状態だったのである。少なくとも「躁」であっただろうときのクレンペラーの演奏は劇的であり、感動的だ。

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
オットー・クレンペラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1968.6.2Live)

ウィーン音楽週間は、楽友協会大ホールでのライヴ録音。
ウィーン音楽週間の一連の演奏の中でも飛び切りの名演奏が、このブルックナーだ。
「血沸き肉躍る」ではないけれど、最晩年の指揮者が棒を振っているとは思えない生命力がどの瞬間にも感じられる。構成力抜群で見通しが良く、76分ほどがあっという間に過ぎてゆく。最高なるはやはり終楽章アダージョ—アレグロ・モデラート。展開部のコラール主題によるフガートから第1主題も加わっての二重フーガのカタルシス。特に、ティンパニが轟き、金管群が咆哮、そして弦楽器がうねる再現部から圧倒的コーダにかけての大伽藍たる音楽の感動は何ものにも代え難い。聴衆の歓喜の叫びと喝采にも痺れる。

高齢のクレンペラーのような指揮者に対しては、オーケストラの楽員はかつてオーラを発した偉大な人物への尊敬の念から、全力を傾けて演奏する。それはかつてのオーラの抜け殻かもしれないのだが。しかしひとつの問いは残る。偉大な指揮者が目の前にいるという圧倒的な存在感だけで、なぜオーケストラがかくもまったく別のひびきを出せるのかという疑問が。これは並みの指揮者が逆立ちしても追いつけぬわざだ。
~同上書P212

最晩年の朝比奈隆然り、ギュンター・ヴァント然り。
これぞ良知良能を具えた人間の成せる業なのだと思う。

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