指揮者クリュイタンスの真骨頂は、ベートーヴェンとかブラームスの演奏にあるのではない。フランス印象派、特にラヴェルがよい。それも私のきいたレコードでいえば、『ダフニス』といった傾向のものよりも、むしろ『ラ・ヴァルス』『ボレロ』、それから『スペイン狂詩曲』の中の舞曲的なものなどが、傑出しているように思える。
~「吉田秀和全集5 指揮者について」(白水社)P59
そういう吉田秀和さんは、自身が触れたクリュイタンスの最初で最後の来日となったコンサートの記憶はほとんどないのだという。
クリュイタンスは、私は、いつか彼が大阪の国際フェスティバルにパリ音楽院管弦楽団を率いて登場した時に、2,3回きいただけである。その時のプログラムは、今正確に思い出せないが、ブラームスの交響曲があまり気に入らず、ラヴェルに非常に感心した覚えがある。ほかに、ベートーヴェンやベルリオーズもあったはずだろうし、ドビュッシーもきっときいたのだろうが、それらはみんな明確な思い出として、浮かんでこない。
~同上書P54
多くの評論家が絶賛したクリュイタンスとパリ音楽院管弦楽団の来日公演については今では実況録音盤がリリースされており、その瀟洒でソフィスティケートされたオーケストラの音色をいつでも堪能できる。中でも、東京文化会館での(吉田さんがおっしゃるように)オール・ラヴェル・プログラムが心底素晴らしい。モノラル録音で、会場のせいか少々デッドな響きのため色香は半減している(と思われる)が、それでもやっぱりラヴェルの音楽の持つ艶と圧巻のエネルギーの放射が手に取るようにわかり、心が揺さぶられる(後年ステレオ・バージョンが発見されリリースされたが僕は未聴)。
組曲「マ・メール・ロワ」が美しい(物語を音その色彩で描き分けるラヴェルの天才。同時にその音楽を立体的に再生するクリュイタンスの棒に感激)。特に、終曲「妖精の園」での、粘り、思いを込める音響に言葉がない。そして、レコードを聴いた吉田さんが指摘するように、(死の匂い薫る)デモーニッシュな音調を示す舞踏詩「ラ・ヴァルス」が何と心地良いのだろう(音が今一つ響かず、どん詰まりのような印象を受けるのは仕方なし)。あるいは、組曲「クープランの墓」も第1曲「前奏曲」から生命力に満ち、躍動感に溢れる。それにしても「亡き王女のためのパヴァーヌ」の優雅な美しさよ。さらには「ダフニスとクロエ」の絵画のような拡がりと開放感!
聴後の全体の印象は、フランス音楽、ことにラヴェルは実演で聴かない限りその神髄までとらえることは難しいということ。ぼんやりと、微かに感じ取ることのできる音の魔法、ラヴェルの音楽の持つ華麗で芳醇なニュアンスを薄っぺらい録音で100%享受するのは不可能だということだ。その意味では、多少のストレスを感じざるを得ない。