矢部達哉 朝比奈隆指揮新日本フィル ブラームス ヴァイオリン協奏曲(1996.5.3Live)

僕は朝比奈隆の東京でのブラームス・ツィクルスを3回聴いている。そのどれもが圧倒的な名演奏だったのだけれど、時期によって解釈の相貌が変化する朝比奈にあって、1990年の最初のものと最晩年、2000年から01年にかけてのものは驚くほど様相異なるもので、いずれもが鮮明に記憶に残るものの、1996年のものに関しては残念ながらほとんど頭の片隅にも残っていない。それは、御大のブラームスに初めて触れたときの衝撃と、よもやその年のうちに亡くなってしまうとは思いもよらなかった最後の輝きとは思えない若々しく瑞々しかった演奏の感動の間にあって、上書き、削除されたかのようでもある。

1996年は朝比奈隆がシカゴ交響楽団に華々しくデビューした年だ。
そのときの充実ぶりは並みのものではなく、確かにサントリーホールで繰り広げられた演奏は、御大らしい重厚で深みのあるものだったに違いないのだが、それでも僕の記憶からはすっかり消去されてしまっているのである。

先頃fontecから突如としてリリースされたそのツィクルスでの、矢部達哉をソリストに据えたヴァイオリン協奏曲を聴いて、90年代中頃以降の朝比奈隆の生み出す音楽の素晴らしさをあらためて確信した。相変わらず重心の低い、分厚い響きの堂々たる恰幅の管弦楽に対して、矢部のヴァイオリンは何と繊細で洗練されていたのだろう。殊にティンパニのものすごい気迫をもった打ち込みは、朝比奈芸術の鬼気迫る側面を表出するようにも思われる。こんな素晴らしいライヴ演奏の記憶がかき消されてしまっているのだから人間の(僕の?)記憶力というか、脳みそほど当てにならないものはない。

・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
矢部達哉(ヴァイオリン)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1996.5.3Live)

サントリーホールでのライヴ録音。
徹頭徹尾、朝比奈隆のブラームス。今や決して聴くことのできない、愚直ながら自然体の、美しくも最高の芸術がここにある。

ある時期、自分のやってることは、一つの創造行為であり、作曲者作曲するのに劣らない創作行為であるというような、気負いを持っていました。しかし、決して卑下するとか自信を失ったという意味ではなく、その作品があの偉大な劇的な作者であろうがなかろうが、作品であることは同じですので、どの作品であろうともベストに近い仕事をして、それを聴衆に伝える。そういう職業として誇りを持ってやっております。あるいは力のおよぶ範囲内で努力もしております。
演奏行為が音楽の中の重要な部分をしめているということも十分信じています。ですから、先程の作曲家と聴衆の仲介者であるということに、もう一つ形容詞をつけさせていただくと、その間の”忠実な“仲介者でなければならないということです。

(朝比奈隆×小石忠男対談「クラシック音楽の昨日と明日」)
「朝比奈隆のすべて 指揮生活60年の軌跡」(芸術現代社)P206

これほどに謙虚で誠実なる朝比奈の演奏が悪かろうはずがない。

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