ヴァルヒャ J.S.バッハ 前奏曲とフーガニ短調BWV539ほか(1970.5録音)

40年近く前のエッセーゆえ創作も入っているかもしれないのだけれど、バッハにまつわるこんな話がある。

ロッシーニは後年ワーグナーに向かって
「もしもベートーヴェンが人間の中の巨人だとすれば、バッハはまさに神の奇跡です」
といっている。かれはとくに「ロ短調ミサ」に感謝した、と伝えられている。これはもちろんバッハはすでに復活しつつあった時の話である。
信時潔氏はかつてある座談の席で、ベートーヴェンの前には出て話をすることはできると思うが、バッハの前では恐れおののいて顔すら上げることはできないだろう、と筆者に語ったことがあった。
あの無遠慮にずけずけいったストラヴィンスキーでさえ、ベートーヴェンのあらを捜したあとで、私はバッハについては、いかにかれが雅致があり、いかに賢く、いかに「誤りがない」人であるか、としかいうことができない、とつけ加えている。

(武川寛海「人間バッハ~新楽聖物語」)
「J.S.バッハの音楽宇宙」(芸術現代社)P67

あくまでそれぞれ個人の感想に過ぎない。人間性はともかくとして、少なくとも各々の残された作品群から想像するに、ロッシーニの言うことも、ストラヴィンスキーの言いたいこともわからないではない。しかしながら、作品をして人そのものを語ることはやっぱり難しい。すべてが外見ではなく(目には見えない)心であるゆえに(枝葉ではなく根っこが大事)。

ナルシソ・イエペスの弾くリュート組曲に触発されてヘルムート・ヴァルヒャのオルガンを聴いた。敬虔な調べはバッハの魂そのものであり、いかにも勤勉な彼の心を如実に物語る。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:
・前奏曲とフーガハ長調BWV531
・前奏曲とフーガホ短調BWV533
・前奏曲とフーガニ長調BWV532
・前奏曲とフーガト長調BWV550
・前奏曲とフーガニ短調BWV539
・前奏曲とフーガイ短調BWV551
・ジョヴァンニ・レグレンツィの主題によるフーガハ短調BWV574
・アルカンジェロ・コレッリの主題によるフーガロ短調BWV579
ヘルムート・ヴァルヒャ(オルガン)(1970.5録音)

ストラスブールはサン・ピエール・ル・ジュヌ教会のジルバーマン・オルガンによる録音。

Bach opens a vista to the universe. After experiencing him, people feel there is meaning to life after all.
-Helmut Walcha

すべてが神の恩寵のように思われる。ヴァルヒャのバッハ体験はまさに見性体験であることを物語る言葉だ。いくつかの前奏曲とフーガを耳にして、僕は、誰にとってもバッハ体験は、見性体験そのものなのかもしれないと感じた。

指も躍ったが、ペンも躍った。いまやバッハの感性は花開き、勉学の日々が結実する。おびただしい数の作品群が、バッハのなかからとめどなくあふれ出る。今に伝えられているバッハのオルガン作品の大半が、ヴァイマル時代に練られた。
加藤浩子著「バッハへの旅―その生涯と由縁の街を巡る」(東京書籍)P130

バッハは奥深い。

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