フランス20世紀音楽

musique_francaise_pour_deux_pianos_vol2.jpg第27回早わかりクラシック音楽講座もお陰さまで好評裡に終了。毎々、進化しつつ螺旋階段を少しずつ駆け上がるようで我ながら面白い。今回採り上げたのは、フランス近現代の大作曲家モーリス・ラヴェル。講座の詳細報告は後日音楽講座のページに譲るとするが、ラヴェルの音楽、人生から様々なことを感じ、学んでいただけたようで、こういう会を催してきた甲斐が十分にあったと思う。感謝。

僕はラヴェルの有名な「ボレロ」を聴きながらこう考えた。単調なボレロのリズムに乗り、2つのメロディが応答しながらクレッシェンドし、クライマックスを迎えるという構成。作曲者自身は、あくまで実験的なものであり展開も何もない代物だから期待するなと初演前に謳ったものの、後年ラヴェルの音楽の中で知らない人がいないほど有名な音楽になってしまったことが皮肉なものである。この音楽がどうしてこれほどまでに人々を惹きつけるのか?僕が思うに、まるでひとりひとりの人生のようだから。毎日毎日同じことを繰り返す生活。ある人は飽きて、やっていられないと愚痴を言う。しかし一方で、別の人はその同じ繰り返しの中で喜怒哀楽を楽しみ、生き生きと活動する人もいる。そう、螺旋階段のように同じ繰り返しの中でも様々な他者と交わりあいながら、その中で「自分らしさ」を発見し、自分らしく生きようと「自分自身と闘い続ける」人間もたくさんいるのである。この「ボレロ」の、最後は全奏で「ひとつになって」クライマックスを迎えるという形式そのものがまるで様々な人と関わり合いながら紆余曲折を経て成長していく人間の人生そのものであり、人生とオーバーラップさせるかのように無意識のうちにその「音の流れ」に感化されてしまう人が多いのだろう一瞬考えさせられたである。この音楽の「凄さ」は実はそういうところにあるのではないか。クリュイタンス&パリ音楽院管が演奏する音盤を聴いて自ずとそう思った。この世の中一人きりでできることはひとつもない。やっぱり全て「関係性」なんだ。

そして、もうひとつ。最後にラヴェルのト長調のピアノ協奏曲を聴いた。1932年、交通事故に遭った年に書かれたジャズの影響露わな傑作である。第2楽章アダージョの静謐な安寧の音楽もさることながら、両端楽章の不思議でありながら攻撃的でニュアンス豊かな音楽はクラシック音楽というカテゴリーを十分に逸脱している。そのあたりが新鮮で何度聴いても新しい発見があるという、鮮度の高い音楽なのである。ラヴェルは若い頃からバリのガムランやジプシーの音楽など、民俗音楽の要素を積極的に取り入れつつ、なお自分自身の音楽として消化し、彼ならではの「新しい」音楽を創作した。そう、自らが体感し、「良い」と思ったものは受容し、取り入れるという姿勢をもっていたのだ。この辺りが我々凡人の及ばないところ。ラヴェルの生き様を見習いながら、自分自身の人生を顧みて、より飛躍できるようにしたいものである。この点についても本日ご参加の皆さんにはご理解、共感いただけたように思う。ラヴェルに限らず、19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリの絢爛豪華な文化的佇まいは垂涎物である。本当に音楽を聴くことって深く面白い。

フランス近代ピアノ・デュオ作品集2
ミヨー:組曲「スカラムーシュ」作品165b
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ、ジャクリーヌ・ロバン=ボノー(ピアノ)

フランス6人組のひとり、ダリウス・ミヨーが1939年に作曲した2台ピアノのための名作。サティとストラヴィンスキーの影響下に、伝統的な形式を崩壊させた印象主義のあり方に異を唱え、あくまで古典音楽を範とした上に立脚する新古典主義的モダニズムを推進した彼の音楽はモーリス・ラヴェルとは相容れないものだろうが、それでもジャズなどの影響を受けた作風を知るにつけ、少なくともフランス音楽のもつ洒落た退廃的な味わいが前面に押し出された傑作なので、自分とは若干相容れない「何か」を感じつつもごくたまに音盤を取り出しては楽しませていただいている。明朗であり、かつ美しいところが堪らない。
そういえば、だいぶ前、サントリーホールで、マルタ・アルゲリッチとネルソン・フレイレが連弾した「スカラムーシュ」を聴いたことを思い出した。目の覚めるような名演奏だった。


4 COMMENTS

Fumi

御無沙汰しております。
27回目の音楽講座お疲れ様でした。今回はラヴェルを採り上げられるということを知って以来ずっと僕の最も愛するマメールロワだけはやめて。。。なんて正直心の中で思ってたのですが採り上げられてなかったようで安心しました(笑)しかし、実に充実した講座だったと予想致します。これからの講座のご成功も祈願申し上げます。

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岡本 浩和

>Fumi君
おはよう。久しぶりです。
>僕の最も愛するマメールロワだけはやめて。。。なんて正直心の中で思ってたのですが
笑・・・、いや、ピアノ版で採り上げました。
ただ、講座の流れ的に中心になったのはやっぱり「ボレロ」であり、「マ・メール・ロワ」はあくまでサブ的な役割だったので、お許しを(笑)。
いつもありがとう。

返信する
雅之

おはようございます。
>この「ボレロ」の、最後は全奏で「ひとつになって」クライマックスを迎えるという形式そのものがまるで様々な人と関わり合いながら紆余曲折を経て成長していく人間の人生そのものであり、人生とオーバーラップさせるかのように無意識のうちにその「音の流れ」に感化されてしまう人が多いのだろう一瞬考えさせられたである。
ショスタコの7番も、同じ意味合いを持たせて「ボレロ」を模倣しているのだと思います(両曲とも実演経験は大きいです。どの部分から小太鼓が二人で協力して叩いているかなんて、CDでは絶対わかりませんし・・・)。
また、Michael Jackson &Lionel Richie 「We Are The World」も極めて「ボレロ」的楽曲ですね。
ラヴェルはクールな性格だと思われがちですが、意外に情熱家の一面もあったのかも知れません。青柳いづみこさんの文章を読んでいて、そう思いました。
「鉄面皮で知られるラヴェルだが、意外にもピアノは抒情派だった。18歳でショパン『バラード第四番』を弾いた試験では、感情をこめて演奏するが、自分をコントロールできていないと非難されている。翌年の試験でシューマン『幻想曲』を弾いたときも、情熱的な性格の持ち主で表現が過剰になるきらいがある、抑制されるべきだと評されている」
http://ondine-i.net/column/column040.html
ところで、話題がガラっと変わり恐縮ですが、以前岡本さんはコメント返信で、フジコ・ヘミングのことを鼻で笑って馬鹿にしていたでしょう。
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-143/#comments
青柳いづみこさんのサイトを読んでいて、彼女が私が聴いた同じ日のベートーヴェン「皇帝」(2006年3月26日のびわ湖大ホール)を聴かれて演奏を褒めていることに気付き、驚きました。
↓必読!
http://ondine-i.net/column/column148.html
ざまーみろ!やっぱり俺の感性は本物中の本物だった。
クラオタの皆さん!凝り固まった固定観念に縛ら続けていると、人生、損しますよ!以前の私みたいに・・・。
心が変われば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる
運命が変われば、演奏が変わる

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ショスタコの7番も、同じ意味合いを持たせて「ボレロ」を模倣しているのだと思います
>「We Are The World」も極めて「ボレロ」的楽曲ですね
同感です。
なるほど、青柳いづみこさんはいつ読んでも本当に面白いですよね。このラヴェルについての文章も非常に参考になります。ありがとうございます。
>彼女が私が聴いた同じ日のベートーヴェン「皇帝」(2006年3月26日のびわ湖大ホール)を聴かれて演奏を褒めていることに気付き、驚きました。
マジですかぁーーー!!!信じられない・・・。絶句(大袈裟、笑)。まぁでもどんな演奏家も偏見を捨て、自分の耳で確認しないことには話にならないということですね。それより雅之さんがフジコの「皇帝」を聴いてみようと実際に行動されたその勇気のほうにどちらかというと感動します(笑)。
>クラオタの皆さん!凝り固まった固定観念に縛ら続けていると、人生、損しますよ!
おっしゃるとおりです・・・(涙)。

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