
有名な第1幕前奏曲の勇壮な音調に対してハンス・ザックスの諦念を表す第3幕前奏曲の柔和さ。ワーグナーはジュディット・ゴーティエに宛てた手紙の中でこの前奏曲の消え行く最終節について、次のように注釈をつけている。
こうして、弦楽器により奏でられる第1動機は、深い感動にうち震える魂を力強く表現しながら再度出現する。つまりそれは、和らげられ鎮められて、穏和で幸福な諦念が有する窮極的な明朗さに達するのである。
~アッティラ・チャンパイ&ディートマル・ホラント編名作オペラブックス23「ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー」(音楽之友社)P274-275
悟りへのプロセスにあろう、否、悟りへの憧れの最中にあったワーグナーの、諦念こそがその鍵となるという思想を見事に音化した前奏曲の美しさ。「勝利者」を完成することのなかった彼の、喜劇に見せかけた真実の物語にようやく僕は目覚めたように思う。
「マイスタージンガー」の重要点は間違いなくザックスの工房とペグニッツ河畔の広々とした野原を舞台にした第3幕だ。
ザックスがユートピアの実現へ向けて突破口を切り開くうえで決定的な転回点となるのは、第3幕第1場の〈迷妄Wahnのモノローグ〉である。前夜の大騒動を振り返り、世界中が「どこもかしこも狂ってる! Überall Wahn!」という慨嘆の思いを深め、「これ(迷妄Wahn)なくしては~いかなる事象も起こり得ない」と達観するにいたったザックスは、さらにその悟りの底をぶち破るかのごとく思索のベクトルを反転させ、忽然と開眼する。「多少の侠気Wahnがなければ/どんな立派な企ても成就するはずがない」と。
(池上純一「ユートピアの政治学」
~日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫/池上純一編訳「ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー」(白水社)P209
迷いがあるからこその悟り。仏陀の生涯をオペラ化しようとしたワーグナーならではの慧眼。「マイスタージンガー」が単なる喜劇ではないことが台本の詳細な台詞からもやはり理解できる。
名演奏、名盤は数多あれど、安心、安定という意味ではカラヤン盤が最右翼。
第3幕第1場最後のテオ・アダムによるハンス・ザックスの「迷妄のモノローグ」(ワーグナーはショーペンハウアーからこの思想を受け継いだのだという)での嘆息が心に刺さる。このシーンは(ある意味)「マイスタージンガー」の核心であり、その博識と止揚によって特別な概念を導き出す天才がワーグナーにあったことを見事に物語っている。
なぜ人は益もない妄執にとり憑かれ
血を流してまで
苦しめ合い、虐げ合うのか。
報われることも
有難がられることもないのに。
~同上書P141
そして、第2場でのザックス(テオ・アダム)とヴァルター(ルネ・コロ)との掛け合いによる「夢解きの歌」の詩と音楽の融合による真の芸術の発露の悲しみ、(最後の大団円に向けての)あるいは喜び。
ドイツのマイスターを敬うのだ!
そうすれば、心ある人々をとらえることができる。
そしてマイスターの仕事を思う心があれば
神聖ローマ帝国は
煙と消えようとも
ドイツの神聖な芸術は
いつまでも変わることなく残るであろう!
~同上書P205
渾身の最終シーンに乾杯。