
ブルーノ・ワルターの演奏に垣間見られる詩情は、メルヘンそのものと言って良いだろう。聴く物を夢見心地に誘うその力は他の指揮者にはみることのできない、不思議な才能だと思う。
ワルターの少年時代は音楽と読書に明け暮れた日々だったという。
ところで、学校に入って何年かするうちに、私の心には音楽に対する愛情に充分匹敵する、或るひとつの情熱が育っていた。読書である。デンマークの詩人アンデルセンの詩的霊感に溢れた意味深い童話や、グリムの編纂したドイツのお伽話の夢幻の豊かさは、すでにごく幼い頃から、私の空想力に語りかけていた。私は自分で読めるようになるまえから、話してもらったり読んでもらったりして、いろいろなメルヘンを知っていた。ところがこんどは—ただ本といっしょに孤独な幸福に酔いしれながら—人物と事件に溢れ、ときには魔神的な、またときにはユーモラスな、あの散文で書かれた詩の、魔法の環のなかですっかりとろけてしまったのである。ついでながら、私は生涯をとおしてメルヘンの世界に魂の親近性を感じ、いつもあらためてひきよせられてきたものである。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P24
ブルーノ・ワルターの芸術の秘密がここに語られているように思う。
ワルターはさらに次のようにも書いている。
もう少しのちになると—9歳か10歳だったと思うが—子供用の本を卒業して、両親の本棚にある書物に移った。そのガラス戸のなかには、ゲーテ、シラー、それにレシング、灰ね、ハウフ、リュッケルトなどがあった。またシェイクスピアも、シュレーゲルとティークによるすばらしい翻訳でそろっていた。シラーの「オルレアンの少女」が私の読んだ最初の戯曲だったと思う。華麗で荘重に躍動する詩句にすっかり魅せられて、よくヨハンナの独白を大声で朗読したものだし、この作品の結末には、ほとんどこらえらえないほどの感動を覚えたものである。
~同上書P25
身を持つ苦悩こそ人間の証であり、「煩悩即菩提」の顕現なのだと思う。
結局少女はどの男のものにもならず、天に仕えたということだ。
それにしてもわずか10歳ほどでジャンヌ・ダルクの独白に心動かされるワルターの精神のステージに感動だ(ワルターの芸術の根っこがここにある)。
ブルーノ・ワルターの歌の真髄はシューベルトのそれにも通じる。
「ザ・グレート」の女性的な美しさ、そして「未完成」の深遠な世界観、さらには第5番での清澄な造形の源よ。
激情と慈悲の音調が交錯するブルーノ・ワルターの音楽作りの真骨頂ともいうべきシューベルト。そして、スターンとローズを独奏者に据えたブラームスの素晴らしさ。
幼少の頃のセンスがそのまま音化されたような「ロザムンデ」からの3曲が素晴らしい。
ワルターらしい抒情と歌。交響曲第5番は新盤の透明感に優れた凄演に対して内側に情熱がたぎる重みのある演奏(今となってはほとんど顧みられることのない録音だと思うが、演奏に漲るシューベルトへの愛情の念はことによると(有名な)1960年のものより強いかも)。やはり第2楽章アンダンテ・コン・モートが美しい。
もうひとつ、ブラームスの二重協奏曲の素晴らしさ(ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの死の前日の録音)。スターンのヴァイオリンとローズのチェロがうねる(颯爽たるテンポで繰り広げられる第1楽章アレグロのリアリティが見事)。