クリュイタンス指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第2番ほか(1959.4録音)

この作品の作曲はハイリゲンシュタット以前か以後か、で長年、論争されてきた経緯があり、また初演後の改訂についても問題を孕んでいる。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築1」(春秋社)P47

大崎さんの近年の大著「ベートーヴェン再構築」には、なるほどと膝を打つ解釈、見解が数多ある。これまでの常識を翻す新説、というより緻密な考証に基づく新事実が明快に語られており、実に心地良い。名作交響曲第2番にまつわる事実。

正しくは「1803年ニオーバーデープリンクで第3シンフォニーを書いた」ということであり、第2シンフォニーとハイリゲンシュタットは何の関係もない。ところがこの2つを結び付けてしまったセイヤーの誤訂正は決定的であり、解説書などにおいて、まったく快活なシンフォニーとハイリゲンシュタットでの絶望的気分が時間的に一致することに対する驚きの表明が定番となった。シンフォニー第2番の初演は確かにハイリゲンシュタットから帰還の約半年後の1803年4月5日であるし、初演は完成してまもなく、とありきたりに考えれば、ハイリゲンシュタットでの創作と見なして時間的に自然である。
~同上書P48

そう、この作品はハイリゲンシュタットで書かれたものではない。

創作者とその作品の関係を考える際に最も重要なのは、集中的取組みはいつだったか、ということである。精神的集中期といってもいいし、要するに作曲の渦中にあった時期を特定することである。その終了までが実質創作期といえる。シンフォニー第2番のそれは、6つの弦楽四重奏曲(Op.18)の作曲が完了した1800年秋頃に始まって、1800/01年の変わり目から1801年3月末までのバレエ《プロメテウスの創造物》(Op.43)作曲と上演による中断の時期を挟んで、翌1802年4月末頃まで、と規定できよう。そこから見えてくるのは、ヴァイオリン・ソナタ第4番と第5番(《スプリング・ソナタ》)(Op.23/Op.24)、ピアノ・ソナタ第12番から15番(Op.26/Op.27-1/Op.27-2/Op.28)、弦楽五重奏曲(Op.29)を次々と仕上げていく一方、大曲にじっくりと取り組んだ、という構図である。しかもこの時期は、サリエリの許に通って、将来のイタリア・オペラ作曲のための修業にも精進していた。
~同上書P53-54

むしろ将来を嘱望されたベートーヴェンが徐々に悪化する耳疾と闘いつつも充実した創作活動を行っていたことがよく理解できる。いわゆる傑作の森以前の、ハイリゲンシュタットの遺書以前の、怒涛の傑作群、しかもサリエリの許に通い、勉強していた時期に生み出されたのが件の交響曲第2番なのだから、確かに「絶望的気分」とは無縁だろう。

ベートーヴェン:
・交響曲第2番ニ長調作品36
・バレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43 序曲
アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1959.4.15-16録音)

クリュイタンスの指揮は、ラテン的軽快さを秘めた、ベルリン・フィルから明朗な音響を引き出す堅牢かつ確かな棒だ。第1楽章序奏アダージョ冒頭から柔和な和音が世界を満たす。主部アレグロ・コン・ブリオの疾走する浪漫はいかばかりか。そして、第2楽章ラルゲットの得も言われぬ爽快な美しさ。短い第3楽章スケルツォも堂々たる舞踏であり、続く終楽章アレグロ・モルトは喜びに満ちる歌の宝庫であり、弾ける弦楽器のうねりに感化される。

この作品はハイリゲンシュタット以前に創作されたことは間違いないとあらためて思う。

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