ラトル指揮ベルリン・フィルのシェーンベルク「グレの歌」(2001Live)を聴いて思ふ

schoeberg_gurrelieder_rattle_bpo168マスター(神)は「愛」であり、本来罰というものを下さない。
マスター(神)は書を著さない。残すのはいわば弟子たち。僕たちが知る宗教のいわゆる経典というものは、マスター(神)の直伝の言葉のようであるものの実際にはそうでないだろう。真理というものは明文化できないゆえ。
言葉の解釈というのは真に難しい。

シェーンベルクの「グレの歌」の真骨頂は十二音技法以降に編まれた第3部にあると思うが、実に短い第2部にこそ鍵があるのでは?

原詩、すなわちイェンス・ペーター・ヤコブセンの「サボテンの花ひらく」という習作に収められた「グアアの歌」の第7部は、ワルデマールがトーヴェの死に関し、神を非難する場面であり、この部分がそのまま「グレの歌」第2部となっている。

主よ、あなたはトーヴェを私から連れ去った時
自分が何をしたのかご存じですか?
あなたは私を最後の隠れ家から
狩り出してしまったのだということをご存じですか?
主よ、あなたは恥じて赤面することもないのですね
あれは貧しい者のたった一つの子羊だったのに!
(鷺澤伸介訳)

ここでのシェーンベルクの音楽には、前世紀の浪漫を引き継いだ、極めて濃密なエロスが宿る。色香も非難も、まるで人間の抱える原罪だといわんばかりの音塊で。

シェーンベルクの初期の作品は、苦しい無調の習作を予期している聴き手にとっては、いつも心地よい衝撃として聞こえてくる。音楽は陶然とさせるような贅沢な音を溢れるほど放出するが、それはクリムトの金箔の肖像画やその他の「ユーゲントシュティル」の工芸品を思わせる。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽」(みすず書房)P49

しかし、そもそも問題はヤコブセンの原作の第8部から第9部を原詩とする第3部にある。現在も各地で繰り広げられる世界の宗教戦争の根源には、弟子たちが書いたそれぞれの経典の解釈の差異があろう。そもそも神はどんな時でも人々に罰を下さないというのに、神を非難した罪をワルデマールは問われるのである。

ワルデマールは言う。

今、天国で笑っている
汝、厳しき裁き手よ!
最後の審判の日が来る時に
これを肝に銘じておけ。
愛し合う男女の魂は一つなのだ。
汝は我らが魂を、我を地獄へ、彼女を天国へと
二つに引き裂くわけにはいかぬのだ。
(鷺澤伸介訳)

ここに付された暗く静けさに満ちた音楽は、浪漫シェーンベルクのなせる技。宗教にまつわる抜本的問題すら超越するであろうこの熱狂的大音響に舌を巻く。今こそ僕たちは、本来すべてがひとつであることを思い出さねば(争っている場合ではないのだ)。

・シェーンベルク:グレの歌
カリタ・マッティラ(ソプラノ)
アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(メゾソプラノ)
トマス・モーザー(テノール)
フィリップ・ラングリッジ(テノール)
トマス・クヴァストホフ(バス)
ベルリン放送合唱団
ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団
エルンスト・ゼンフ合唱団
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2001.9.18,20 &11.9Live)

続くヴァルデマールの従者たちの合唱の崇高さ!!
そして、最後のシーンとなる「夏の風の荒々しい狩り」はラトル&ベルリン・フィルの絶美の瞬間多々。美しい管弦楽の前奏、そしてシュプレヒシュティンメで表現される話者の部分を経て、最後の混声合唱の圧倒的爆発力に感動。

目覚めよ、目覚めよ、すべての花よ
太陽が来る!
東の色彩の奔流の中のすべてが
我らに朝の夢の挨拶をよこす。
(鷺澤伸介訳)

ちなみに、1913年2月23日、「グレの歌」初演時のこと。

休憩中に賞賛者たちが作曲家の周りに群がってきたときに、勝利の兆しはすでにはっきり見えていた。しかしシェーンベルクは不愉快に感じ、新たな転向者たちの受け入れを退けた。演奏が終わると、反シェーンベルク派たちでさえも、そのうち何人かはスキャンダルになることを予想してホイッスルやその他の鳴りものを持ち込んでいたのだが、他の聴衆とともに立ち上がって「シェーンベルク!シェーンベルク!」と大声で繰り返した。目撃者の話によれば、騒いでいた人たちも涙を流し、その喝采の声はお詫びの言葉のように響いた。
~同上書P57

20世紀前半を席巻した音楽の革命は、言葉を超え、それこそ「ひとつである」という真理に到達したのかも。ただただ音楽に浸るが良い。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

石田一志「シェーンベルクの旅路」を読んだ上で、「グレン・グールドのシェーンベルク」を読むと、シェーンベルクの創作活動について、改めて思い知ることができました。グールドがいかにシェーンベルクを捉え、シェーンベルク受容に尽力したかもわかりますね。

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