バックハウス&シューリヒトのブラームス協奏曲第2番(1952.5録音)を聴いて思ふ

brahms_2_backhaus_schuricht_vpo267驚くほど息の合った協奏。カール・シューリヒトとヴィルヘルム・バックハウスの協演は、あの時代において「特別な」イベントだったらしい。古びた録音から聴こえる、柔らかで繊細な管弦楽と、堅牢実直かつ豪快な打鍵が醸す崇高なピアノの音色に、この二人が一体であったがゆえの名演奏が幾度も繰り返されたのだろうと想像した。

思い出すのはヴィルヘルム・バックハウスを特別扱いしていたことだ。ブラームスのピアノ協奏曲第2番とピアノ協奏曲第5番を演奏した2回の「記念碑的演奏会」とともに、この指揮者は「純粋に愛される」バックハウスのために、ピアノ協奏曲だけの演奏会を2回も準備したのである。このような栄誉をバックハウスだけに贈ったのであった。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P134

ブルーノ・ワルターがあまりに美しいモーツァルトのト短調交響曲と、哀感溢れるマーラーの「大地の歌」をムジークフェライン・ザールで披露したのが1952年5月17日と18日のこと。
ちょうど同じ頃、バックハウスはシューリヒト&ウィーン・フィルをバックにブラームスの変ロ長調協奏曲を録音。後年のベームとのステレオ録音を(ある意味)凌ぐ名演奏だと僕は思う。

第1楽章アレグロ・ノン・トロッポ冒頭の濃厚なホルンの旋律に見事な合いの手を入れるバックハウスのピアノの恋するようなリリシズム。慌てず急がず、じっくりと音楽が奏でられる様に、勝手知ったシューリヒトの名伴奏に委ねるバックハウスの余裕と自信を垣間見る。
第2楽章アレグロ・アパッショナートは、管弦楽は重い足取りでありながらピアノが実に軽快に弾け、音楽を一層情熱的なものにのし上げる。
そして、第3楽章アンダンテに見る哲学的思索。甘く儚いチェロ独奏に対し、バックハウスのピアノは堂々たる音で応える。ここでのシューリヒト&ウィーン・フィルの確信に満ちた音楽作りの何と陶酔的なことか。
何よりフォルテの際の強烈な地鳴りを思わせる轟音、一方ピアニシモの際の愛撫のような囁きの対比に、2人の巨匠のブラームスへのただならぬ尊敬の念が込められているよう。
さらに、終楽章アレグレット・グラツィオーソの、例えば、冒頭の可憐なバックハウスのピアノの語りに思わず笑みがこぼれ、あるいはまたコーダに向けての劇的突進力にシューリヒトの天才を思う。

・ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1952.5録音)

「私、ブラームスを好きかどうかわかりませんでしたの」
「ぼくの方は、あなたがいらっしゃるかどうかわかりませんでした。あなたがブラームスをお好きであろうとなかろうと全然かまわないんですが」
フランソワーズ・サガン著/朝吹登水子訳「ブラームスはお好き」(新潮文庫)P57

恋人たちの間で、いかにもこんな会話が交わされそうな、質実剛健、禁欲的なブラームスに乾杯。

 

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4 COMMENTS

畑山千恵子

やはり、バックハウスといえば、晩年のベームとの共演は名演です。何度聴いても素晴らしい。その3年前の1964年、カラヤンとのライヴ録音があって、これもカラヤンをバカにしきったかのように堂々と弾きまくっている演奏ですね。
ちなみに、バックハウスとカラヤンはブラームスの2番、ベートーヴェンの4番で共演しています。

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滝沢 直人

両者共、個性にぶつかる立派な演奏だと思う(御年85歳!あり得ない)
他人の評価に口出しするのは趣味じゃないが、前者の“カラヤンをバカにしきったかのように・・・”
のは悪意を感じますね。どうしてそのように聴こえるのか不思議。

返信する
岡本 浩和

>滝沢直人様
コメントをありがとうございます。

>両者共、個性にぶつかる立派な演奏だと思う(御年85歳!あり得ない)

おっしゃるとおりです。これでもう少し録音が良ければ、というのが正直なところです。

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