
レッド・ツェッペリンが「天国への階段」の別リミックスをリリースするというニュースを聞いた日、僕は音盤を手にする「とき」を楽しみにしていた。実際、フォース・アルバムのThe Companion Discと称するボーナス・ディスクを聴いて、僕は大袈裟だけれど驚喜乱舞した。
サンセット・サウンド・ミックスといわれるこのバージョンは、おそらく当時、彼らがその音に納得いかず、没にした音源だろう。確かに雰囲気は違う。
1971年2月末、エンジニアのアンディー・ジョンズ、ジミー・ペイジ、ピーター・グラントの3人は、サンセット・サウンド・レコーダーズでニュー・アルバムのミキシングをするためにロスアンジェルスに飛んだ。すると彼らの到着とほぼ同時に、LAを地震が襲った。それはなにかの予兆だったのだろうか? ロンドンにもどってサンセット・サウンドの成果を聞いた彼らは、もしかしたらそうだったのかもしれないと思いはじめる。というのもその仕上がりは、彼らをいたく失望させたからだ。「いまだになにがあったのかわからなくて」とペイジ。「もしかしたらモニターが、嘘っぱちの音像を描き出していたのかもしれない。なにしろサンセット・サウンドには、すごく幅の広い周波数を再現できる最新鋭のモニターが備わっていたからね。ひょっとしたらだけど」
~クリス・セイルヴィッチ/奥田祐士訳「ジミー・ペイジの真実」(ハーパー・コリンズ)P274-275
ジミー・ペイジの体験は現実かもしれないし、また幻かもしれない。果たしてそこに地震が関係しているのかどうなのか、それはわからない。しかしそれは、当時から黒魔術に傾倒していたペイジが、あるいは憑依体質のペイジが、いわゆるパラレル・ワールドを無意識のうちに体験した結果として起きた出来事だったのかもしれない。
もし聖書を真剣に受け取るような真似をしたら、頭がおかしくなってしまうだろう。だが聖書を真剣に受け取るとしたら、それ以前に頭がおかしくなっていなければならない。
(アレイスタ・クロウリー)
~同上書P242
エクセントリックこの上ない言葉だ。ツェッペリンという幻想は、クロウリー・シンパだったオカルト趣味甚だしい(?)ペイジの、命を懸けた遊びだったのかもしれないと僕は思う。
Personnel
John Bonham (drums)
John Paul Jones (bass, electric piano, mandolin, recorders, synthesizer)
Jimmy Page (electric and acoustic guitars, mandolin, production, mastering, digital remastering)
Robert Plant (vocals, harmonica)
“Black Dog”は冒頭短いイントロなしで、いきなりプラントのつんざくヴォーカルで始まる。この時点でこのコンパニオン・ディスクがよりシンプルかつソリッドな音響で、レッド・ツェッペリン本来の(?)姿を映し出すようで興味深い。もはや聴き尽くした感のあるフォース・アルバムだが、細かく聴いてみると、新たなミックスの施された各曲の、本編では得られない直接的な響きが腸(はらわた)に染み、感激する。そのことを最も痛感させるのが、冒頭に言及した”Stairway to Heaven”のSunset Sound mixだ。
プラントの歌詞のテーマは物質主義と、所有が救済につながると信じる人々。それを象徴するのが輝けるものはすべて金で、それがあれば天国への階段が買えると誤って信じている女性だ。田園的なロマンティシズムにいろどられてはいるものの、この曲は身勝手な玉の輿狙いの女性たちに対するブルース的な嘆きだった。レッド・ツェッペリンのメンバーは全員、ツアー先でそのたぐいの女性に嫌と言うほど出会っていた。そして曲が終わりに近づくと、それとは別の生き方もあると、救済の道が示される。神秘的な語り口が生みだす難攻不落の迷路の中から、普遍的な真実が浮上するのだ。
~同上書P262
プラントの絶叫に近い美しいヴォーカルが、最後に真理の一端を垣間見せてくれる。果たして40余年を経て、ペイジがこのミックスを世に問うた理由は何なのか。ついに黒から白に転じた魂が、彼にそうさせたのかどうなのか。
ちなみに、2017年10月の、オックスフォード・ユニオンでのスピーチに対する聴衆からの質問にペイジは次のように答えている。
ぼくはスタートしたその日からまるごとイメージをつくりあげ、でも実際にそれを生きていたんだ。ニセモノや紛いものなんかじゃない。そういう覚悟があったわけでね、とにかく新しい音楽を書き、まだほかの人たちには到達できていない音楽観を提示することに、血道を上げていた。いや、もしかしたらできていたのかもしれないけど、そうするためにはただひたすら・・・あのバンドにいたひとりひとりが、さっきも言ったように、気持ちをひとつにしていたし、ああいうバンドでプレイするのは、本当に最高の気分だった。うん、それは間違いない。最初に《レッド・ツェッペリンI》をつくったときから、ぼくにはみんなに提示したいサウンドがどういうものなのか、全部きっちりわかっていた。「おい、こりゃおもしろいじゃないか。1曲にこんなにたくさんのアプローチが盛りこまれてるなんて」と思ってもらえるようなサウンドだ。こういったアイデアとともに、とにかく前へ、前へ進んでいこうとする精神。あれにはとにかく夢中になった。
~同上書P533-534
幻想を終わらせ、真の原点に戻ろうとした結果が、ひょっとするとかのバージョンの発表に至ったのかもしれない。いや、ただ単に金儲けなのかもしれないが(新たな音源を小出しにリリースする戦略はレーベルの単なるビジネス上の常套手段だろうけれど)。(笑)