1843年1月2日、歌劇「さまよえるオランダ人」が初演(ドレスデン宮廷歌劇場)されるも失敗に終わる。ちょうど180年前のこと。
キリスト教世界観(西洋的観点)といわば仏教の世界観(東洋的観点)の相違は当然にあるのだが、結局のところ人間は生々死々を繰り返し、永遠にさまよい続けるものだという、まさに我々はどこから来てどこへ帰っていくのか、そしてまた我々は誰なのかという命題をテーマにした、いまだ20代のリヒャルト・ワーグナーの傑作。
ここでのワーグナーの回答は、彼が生涯にわたって追究した「女性の純愛による救済」というものだが、深読みすれば女性性の強まる陰の時代、風の時代にこそ真の救済が必ずあるのだということを、意識してか、あるいは意識せずとも彼は知っていたのだと想像することができる(ワーグナーは心静かに弥勒の時代の到来を待っていたのかもしれない)。オランダ人の呪いは、永遠の愛を誓う女性との出逢いで解かれるのだということだが、そもそもこの世界に真の意味での呪いは存在しないことと、そういう女性との出会いを偶然に待つことで得られるものではないことが落とし穴(最終的にはワーグナー自身も解決の糸口をつかむことは叶わなかった)。
やはり縁を手繰り寄せ、その縁を無事に生かせるかどうかはその人の善根にかかわることゆえ主体的な慈しみの行為がどうしても必要になることを僕たちは忘れてはならない。それも有心だと無意味であり、あくまで無心でなければならない点がミソ。
とはいえ、実に素晴らしいオペラであることに違いはない。
フランツ・コンヴィチュニーのいぶし銀たる名演奏。
何より充実したキャストによる(やっぱり僕はディースカウとフリックの名唱に惹かれる)、今となってはファン垂涎物の現代では珍しい3幕版形式での演奏。言葉をいくら尽くしてももはや表現しようのない、強いて言うなら堂々たる、地に足の着いたワーグナーに心から感動する。