フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第7番(1943.10&11Live)ほか

1943年のヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
混沌とした、先の見えない暗澹たる世界にあって、そして、健康を害する状況の最中、彼は国家に対する徹底的な抵抗を続けていた。

翌1943年のヒトラーの誕生日が近づくと、フルトヴェングラーはかかりつけの医師、フェルディナント・ザウエルブルフ教授に会って健康診断書を懇請した。前の年からこの年に至る数ヶ月間、彼はすでにその脊椎炎のため数多くの演奏会をキャンセルしていた。首と上膊を襲う神経筋肉系の痛みで多くの指揮者によく起こる病気だった。
同医師は、すでにフルトヴェングラーのためにあまりにも多くの健康診断書を作成しているので、当局が疑念を抱き始めていると抗弁した。フルトヴェングラーは、もし診断書を頂くことができなければ、窓から飛び降りると脅した。「どんなことになるよりも、ドイツやドイツ以外の世界をこれほど恐ろしい状態に投げ込んだ男のために指揮するより、はるかにましなのです」。

サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」(アルファベータ)P58

切羽詰まった状況が手に取るようにわかる。そして、ヒトラーの誕生日に指揮することを強要する(?)当局との鬼気迫るやり取りに、最終的に難を逃れることができた彼の運の良さも合わせて知ることができ興味深い。

フルトヴェングラーはゲッベルスに対して、演奏会を指揮することには異存がない、でも自分がベルリンに現れると、スペイン政府の感情を害することになりはしないかと念を押した。ここで「スペイン政府」とフルトヴェングラーが言ったのは、ナチスが微妙な問題を抱えていた独裁者フランコのことだった。フルトヴェングラーはついこの間、スペインでの講演をキャンセルしたばかりだった。さすがのゲッベルスも、フルトヴェングラーがベルリンに現れればフランコに不快感を与えることになろうと、その考えに同意せざるをえなかった。たしかにどの点から見ても危機一髪だった。ゲッベルスは結局、見逃してやった。
~同上書P59

そこにフルトヴェングラーの作為はなく、事実を積み上げた結果だったことが面白い。当時のフルトヴェングラーの手紙にはこうある(本人の心境、内的状況を知ることは彼の芸術を知る上でとても参考になる)。

・・・音信不通になってこのかた、ありとあらゆる苦労を嘗めました。この1年は、生まれてはじめて重い病気も経験しました。冬をなんとかもちこたえたのも、歯を食いしばってがんばった結果なのです。今は、からだには良くないと知りながら、長期治療を受けています。これでよい結果の得られることを期待しているのですが、効果のほどはもうしばらくしないと分かりません。仕事のほうもこのために大いに影響を受けました。今年もまた思いやられます。
(1943年5月30日付、ルートヴィヒ・クルティウス宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P124

彼の苦悩の心境が明らかに読み取れる。そして、戦火の最中にあって多忙を極める様子に辟易しながらその数ヶ月後には、母宛て次のような手紙を送っているのだ。

・・・ぼくは、ベルリンとウィーンの間を絶えず行ったり来たりしなければなりません—しかし、まだこの先すべてがどうなるかは、誰が知りましょう。なんども思うのですが、母上はマンハイムの大爆撃の一部始終を目と鼻の先に経験され、よりによってマンハイムがえらい目に会うことになったのですね。幾人かの旧友に手紙を出しましたが、なんの返事もありませんでした。あの美しい古い劇場も焼け落ちてしまったのですね。
(1943年9月?母アーデルハイト宛)
~同上書P124-125

哀惜表わす老齢の母への手紙にフルトヴェングラーの内なる不安を垣間見るが、そういう状況であったからこそ彼の音楽は生命力を保ち、楽団員と共に鬼気迫る演奏を何遂げられたのだろうと想像する。

ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1943.6放送録音)
・交響曲第7番イ長調作品92(1943.10&11Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

幾度繰り返し聴いてきたことだろう。病み上がりとは思えない音楽への没入ぶりに、今さらながら感極まる(戦時中はおそらくフルトヴェングラーの最盛期だろう)。それにしてもオーパス蔵の復刻による初期アナログ盤の音の生々しさに驚嘆する。もちろんそれは、そもそも当時のドイツ帝国放送局によるマグネトフォン録音の驚異的な性能によるところだけれど。何より第7番イ長調の圧倒的感銘!!

オーパス蔵盤ではないが、RRG録音の素晴らしさが堪能できる。

ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(1943.6Live)
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1944.3Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

第5番ハ短調は一切の弛緩なく、またほころびもなく、ベートーヴェンの革新的絶対音楽が見事に再現される。何という新鮮さ!
個人的に最高なるは第6番ヘ長調「田園」。相変わらずおどろおどろしい第1楽章の出だしであるにもかかわらず、どの瞬間も命が蠢き、大宇宙の叡智の集結がここにはあり、同時に大自然を畏怖する主観的謙虚さがある。

荒れ狂うベートーヴェンの内側はいかに静かだったか。
個人的には、フルトヴェングラーの戦時のベートーヴェン演奏には、外面の熱狂とは裏腹に、言葉にならない寂莫とした静けさがあるように感じられる。孤独の冷たさとでもいうのか、何だかやるせない、切ない、そういう音楽を聴き取ってしまうのだ。特に、激する第6番「田園」にそのことは甚だしい(それゆえに唯一無二の名演と言えるのだが)。

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