フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン 交響曲第5番(1954.2.28&3.1録音)

嫉妬あり、人情あり、恋沙汰あり、いかにも人間臭いフルトヴェングラーの日常。
彼の創造する音楽は、崇高というよりどれほど俗っぽいものだったか。しかし、それゆえに、人々の情に訴え、人々を感化したのである。最後の年の手紙には何とも言えぬ寂寥感が常に漂うが、果たしてそれは後年の僕たちの勝手な想像なのだろうか。

妻宛の手紙の出だしはこうだ。

電話が通じなかった。せめて手紙でなり、きみと語るという気持ちに浸ろう。きみの声を聞き、きみがそこにいることを確かめないでは、一日も暮れてほしくない—いつもそんな気持を抑えがたいのです。
(1954年1月18日付、妻エリーザベト・フルトヴェングラーに)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P288

心の安寧を求めたフルトヴェングラーの本意が胸に痛い。
そして、翌日のティース宛の手紙には、最晩年の(よもやその時点ではその年のうちに死を迎えるとは本人も自覚はなかったのだけれど)心境が綴られる。

不思議なことがあればあるものです。年をとって名が出れば、自分の身も時間もずっと自由になり、若い時は地位を築かなければならぬために果たしえなかったいろいろなことができるようになると、昔は思っていました。事実はその反対であることに、今にして思いいたりました。
(1954年1月19日付、フランク・ティース宛)
~同上書P289

前年末から流行性感冒に罹患してのバーデン・バーデンのサナトリウムからの手紙は、人の人生の寂しさと思念の浅薄さが読み取れる。それでも、どこまでいっても人間は自身の我欲にそうは勝てないものなんだ。
そして、その1ヶ月ばかり後にリース宛に彼は次のように書くのである。

「対抗する」という言葉に貴兄がそれほど敏感だったとは、理解に苦しむところです。ユダヤ人には旧約聖書があり、イギリス人にはシェイクスピアがあり、ギリシア人には彫刻があるように、ドイツ人には音楽があるのです。これはとうに歴史的な事実です。
(1954年2月15日付、クルト・リース宛)
~同上書P292

ドイツ音楽絶対主義たるフルトヴェングラーの確信。そして彼はまた、プレトーリウス宛書簡で次のように語る。

善の活動領域は、せめて理論の上だけでも、ある程度保証されていなければなりません。われわれ人間は、まったく希望のない生活を送るようには作られていないのです。今日ドイツ全土をおおっているかに思われる恐るべきペシミズムは—ことにドイツに関するかぎり—明白な事実ですが、それに負けてはなりません。
(1954年3月10日付、エーミール・プレトーリウス宛)
~同上書P293-294

少なくともこの時期のフルトヴェングラーの音楽活動は、このペシミズムに打ち勝つために成されたのだろうと思う。だからこそ希望に溢れ、人々に勇気を与えてくれる。

・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1954.2.28&3.1録音)

ウィーンは楽友協会大ホールでのセッション録音。
もはや語り尽くされた感のある名録音に僕は付け加える言葉を持たない。
CD黎明期の初期盤からブライトクランク盤、否、それ以前、アナログ・レコードの時代から何度くり返して聴いてきたことだろう、フルトヴェングラー最晩年の思念が刻印される輝かしいばかりの堂々たるベートーヴェン。EMIによるベートーヴェンの全集が完結ならなかったのは、僕たちはもとよりフルトヴェングラー自身が最も無念だったろう。
ただ、真に人類の至宝としてのこの第5交響曲が残されたことに感謝しよう。

一点の曇りもない、微動すらしない第1楽章アレグロ・コン・ブリオこそベートーヴェンの象徴であり、またフルトヴェングラーの絶対的解釈を示すものだ。第2楽章アンダンテ・コン・モートの安息、蠢く暗澹たる第3楽章アレグロすら明朗な音調を湛え、終楽章アレグロの見事な解放に生をつなぐシーンの快さ。素晴らしい演奏だとあらためて思う。

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