ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル バルトーク 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽ほか(1965.2.28Live)

数学的緻密さと、陰陽のバランスと、計算された構成の中に極めて情緒的な、官能的な要素が内在するのがベラ・バルトークの音楽の本質だろうか。いわば夜の音楽が、これほどまでに普遍的になるには論理性だけでない、心や魂に響く何かがないとそうはならないように思う。単に正論をかざすだけでなく、深層には必ず慈しみがあったのではなかったか。

「この干からびた糞の中に生命があるのだよ。この死んだ土塊に拠って生きているものがあるのだ。」バルトークはそう言いながら、杖でそれをかきわけた。そして、心を奪われた者のように熱心に探りながら言う。「ごらん、蛆や虫が欲しいものを得るために、小さい穴や通路をつくってはけんめいに働いているだろう。こんどは土が、風の運んできた種子もろともあのなかへもぐりこむ。間もなく薄青い草の芽が出て、生命がこの死の塊に充ち、その周期を完うするのだ。以前、このような土塊に小さなリンゴの芽をみつけたことがあるよ。それは生を確信した風情で伸びていた。ずっと昔、ハンガリーにいた頃のことだ。今時分はもう実の熟れる時機だろう。が、生命は途につくと同時に踏み潰されることの方が多いのだ。自然は豊かな生命を与えるとともに、同じだけの生命を奪うものなのだから。」
アガサ・ファセット/野水瑞穂訳「バルトーク晩年の悲劇」(みすず書房)P5

最晩年の5年をアメリカ合衆国で過ごしたバルトークの最後の作品群は、まさにこの「生と死の問題」を主題に、自らの総決算として創出されたものだろう。暗澹たる中に蠢く生命力。強力な、そして個性的な名演奏で聴くと、そのことは一層明らかになる。

・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
・バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽Sz.106
・オネゲル:交響曲第3番「典礼風」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1965.2.28Live)

40年前、ムラヴィンスキーのバルトークに触れ、僕は痺れた。
永遠に続くと思われる第1楽章アンダンテ・トランクィロの美しさ。そして、第2楽章アレグロの決然たる響きは、バルトークの死への覚悟と生きることへの希望かどうなのか。あるいは、東洋的への憧れの表象のような第3楽章アダージョにある闇の中の一条の光の妙。終楽章アレグロ・モルトの鋼のような鋭さはムラヴィンスキーの真骨頂。
あの頃、即座に理解したかといえば決してそうではないのだけれど、まさにここに僕は「暗澹たる中に蠢く生命力」を感じたのである。以来、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽についてはムラヴィンスキーの生み出す強烈な解釈が忘れられない。

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