バーンスタイン指揮イスラエル・フィルのディヴェルティメント(1981録音)ほかを聴いて思ふ

いかにもバーンスタイン節。
ヨーロッパの都市の洗練された形式を用いながら、大地の土臭い舞踊を体現する喜遊曲。
何という愉悦。何という肯定感。

1980年の、管弦楽のためのディヴェルティメントを聴いて、バーンスタインの縦横無尽の音楽性に感動する。踊りこそが音楽の源であり、肉体と心の解放こそが音楽の目的であることをあらためて思い知らされるのだ。第3曲「マズルカ」最後のベートーヴェンのハ短調交響曲第1楽章オーボエ・ソロの引用をはじめとし、西洋音楽史にまつわる、とても懐かしい音調が魂を癒す。例えば、終曲「追悼;行進曲『BSOよ、永遠なれ』」での、ショスタコーヴィチの軽快で剽軽な、いかにもジャズっぽい様相に負けずとも劣らぬ陽気さの極致が素晴らしい。

バーンスタイン:
・管弦楽のためのディヴェルティメント(1980)
・ミュージカル・トースト(1980)
・政治的序曲「スラヴァ!」(1977)
・ミュージカル「オン・ザ・タウン」より3つのダンス・エピソード(1944)
・管弦楽のための舞踊的エッセイ「ファクシミリ」(1946)
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団(1981録音)

いろいろな意味で人を愛したバーンスタインの音楽には、文字通り「愛」が投影される。どんなに激しいときも、またどんなに静かなときも、いつも優しさに溢れる。そこには常に「癒し」がある。

私の中で全てが完成されたとき、私は思いもかけず、再び密儀に戻ることになった。つまり精神と欲望という彼岸のもろもろの力を最初に見たあの時である。私が自分に対する快楽と自分に関する力を達成したように、サロメは自分に対する快楽を失ったけれども、他人に対する愛を学び、エリヤは自分の知恵についての力を失ったけれども、他人の精神を認めることを学んだ。そのようにサロメは誘惑する力を失い、/愛になった。
C.G.ユング著/ソヌ・シャムダサーニ編/河合俊雄監訳/河合俊雄・田中康裕・高月玲子・猪股剛訳「赤の書」(創元社)P514

世界は他者と自分との間のゼロサム。調和とは何かを失い、同時に何かを得ることだ。山あり、谷あり。バーンスタインの人生もまさに疾風怒涛のようだった。20分弱の「ファクシミリ」(1946作曲)の美しさ。弦の色香と管の咆哮の対比に思わずため息が出る。

眠りを誘う響きに包まれ、妙なる幸福感に浸る、広島の夜。

 

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