アルゲリッチ、アッカルド、アモイヤル、ビアンキ&カンギーザー ドヴォルザーク五重奏曲(1973.11Live)を聴いて思ふ

必要とされるものは、デリケートな耳、すぐれた記憶力、前時代の断片を調和のある全体へと溶け合わせる力量である。
(アントニン・ドヴォルザーク「アメリカにおける音楽」より)

彼の音楽は、ブラームスよりももっと開放的で柔らかい。
二人とも律儀でお固い性格だったのかもしれないが、ドヴォルザークは融通が利いた。過去の大家のあらゆるイディオムを取り込んでいかにオリジナリティを究めるか。

ドヴォルザークは典型的な朝方の芸術家で、早寝早起きを励行し、家族に対してはよき夫であり、また、よき父であり、芸術家にありがちな奇行や偏屈なところがほとんどなかった。これだけの大家で、幅広く仕事をしながら秘書も雇わず、少ししまり屋なのが欠点と言えば言える程度。芸術家として歩んだ道は決して平坦な道程ではなかったとしても、その人柄は、言ってみれば偉大な平凡人というところではなかったかと思う。
(佐川吉男)
作曲家別名曲解説ライブラリー6 ドヴォルザーク」(音楽之友社)P15

「偉大な平凡人」とは言い得て妙。あやかりたいくらい。

安穏と優美な佇まい。
一方、各々が激しくぶつかるものの、決してむき出しの闘争心を露わにすることのない態勢。名手5人の、丁々発止、一期一会の見事な記録。
こういうものはおそらく繰り返し幾度も聴くものではないだろう。息を凝らして、すべての感覚を研ぎ澄まし、ただ一心に耳を傾けるべし。

ピアノ五重奏曲イ長調。1973年11月、イタリアはナポリ国際音楽祭でのドキュメント。

・ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調作品81(B155)(1887)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
サルヴァトーレ・アッカルド(ヴァイオリン)
ジャン・ピエール・アモイヤル(ヴァイオリン)
ルイジ・ビアンキ(ヴィオラ)
クラウス・カンギーザー(チェロ)(1973.11.20-30Live)

第1楽章アレグロ・マ・ノン・タントの、5人の誰ひとりとして出しゃばらない、文字通り「融け合い」が素晴らしい(終結に向かう圧倒的なクライマックスは見事としか言いようがない)。続く、第2楽章ドゥムカ(アンダンテ・コン・モート)は、暗く哀感伴って始まるスラヴの歌。時に感情激し、時に憂愁を湛え、ドヴォルザークの故郷に寄せる愛情が色濃く刻まれる。また、活発な第3楽章スケルツォ(フリアント)も同様(こちらはボヘミアの歌)。そして、結論たる終楽章アレグロの、いかにもドヴォルザークらしさを体現する5人の、特にコーダでの圧倒的な交わりは他ではなかなか味わえぬもの。短いながら収録される終演後の爆発的拍手喝采の様子から、当日の聴衆は大変な感動に包まれたようだ。

「彼女は僕らとは作りが違って、音楽の本能によって最高に美しいものを切り取るのに、大変な苦労を自分に課している」とは、元夫シャルル・デュトワの弁。マルタ・アルゲリッチにとって日常の些末な一つ一つはどうでも良いことで、それらの一切を犠牲にして、類い稀なる音楽を創造しているということだ。

彼(シャルル・デュトワ)からはクレジット・カードの使い方と、コンタクトレンズを装着することを教えてもらった。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P191

洒落にもならないアルゲリッチとデュトワの関係が実に興味深い。

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