バーベリアン&セーゲルスタムのべリオ「エピファニー」&「コーロ」を聴いて思ふ

berio_barberian_segerstam427人は他人に触発を受けるもの。
夫が創造し、妻が再生する。
いや、妻の再現技術を前提に夫はすこぶる音楽的革命を起こしたとでも言おうか。
これぞ夫婦二人三脚。最高の音楽を生み出すため、時にはぶつかり、時には互いが互いを尊重し、譲り合った結果が20世紀の傑作として残されたのだろう。
それにしても様々な声色(声音)を使い分ける妻の、奥ゆかしくも深い歌唱に感動以上に恐れを抱く。

つまり前衛的な手法に、器楽と声楽を際立たせる古くからのやり方を吹き込んだのである。べリオが行なった素晴らしい歌唱技術の再構成は、妻でアメリカ生まれの歌手、キャシー・バーベリアンの創造力溢れる解釈によるところが大きい。バーベリアンは素朴なうなり声から天使のような純粋な声に至る、ありとあらゆる声を出すことができた。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P480

まるで魔術師の如く。

べリオ:
・管弦楽と女声のためのエピファニー(1959-1961/1965改訂)(1974.8.19Live)
・合唱と管弦楽のためのコーロ(1975-76)(1977.8.8Live)
キャシー・バーベリアン(メゾソプラノ)
レイフ・セーゲルスタム指揮オーストリア放送交響楽団

「エピファニー」のテキストは、ウンベルト・エーコによるアイデアをもとに、プルーストの「失われた時を求めて」第2編「花咲く乙女たちのかげに」、ジョイスの「ユリシーズ」、あるいはアントニオ・マチャードの「新しい歌」、クロード・シモンの「フランドルへの道」、またブレヒトの「後世へ向けて」などから採られているが、歌詞の多様さもさることながら、ほとんど歌唱とは言えない叫び様のものも含め、バーベリアンの独特の話法(?)にその絶妙な再現の多くを負っている。見事としか言いようがない。

この時代は、いったいなんだ、木々について語ることさえ非道だ、それは悪を前にして沈黙するのと同じだ!
~ベルトルト・ブレヒト

そもそも音楽はどこから湧き出でるものなのか?
天のものとも地のものとも思えぬ不気味な音響こそすべてを包含するルチアーノ・ベリオならではの方法だったのだろうと「エピファニー」に触れ、思った。

べリオはのちに他の作曲家たちが、「スタイル」と「表現」、名人芸と構造、日常世界の音楽と天上の音楽など、誤った二分法をつくりだしていると批判した。
~同上書P481

音楽に、芸術に聖も俗もないのだとべリオは言う。
続く、ポリネシア、インディアンの詩、またパブロ・ネルーダの詩をテキストにする「コーロ」の、第三世界の音楽を髣髴とさせる、原始的でありながら一方で秩序ある音の連続はまさに過去と今を、そして先進と野蛮を統べるべリオの真髄。
合唱による魂の絶叫と、オーケストラの咆哮と爆発。これほど外に拡散するエネルギーの奔流には若きセーゲルスタムも一役買っている。
素晴らしい音楽たち。

 

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