ヤング指揮ハンブルク・フィル ブルックナー 交響曲第8番(1887年第1稿)(2008.12Live)

アントン・ブルックナーの肖像。

バイエルン公女アマーリエも、ブルックナーの人となりについて回想を残している。叙勲から5か月ほど経った86年12月、彼女がヴィーンを訪れた際、皇女マリー・ヴァレリーはブルックナーを王宮に招いた。アマーリエはこう書いている。

私はこの時初めて、ブルックナーの真に感動的な性格に触れた。子供のような無邪気さと純朴さの一方で、彼は自らの価値と才能とをよく自覚していた。リヒャルト・ヴァーグナーが「ブルックナー、君は偉大な作曲家だ」と言って、彼の交響曲を演奏することを約束したという。彼の言葉には自惚れの響きはなく、天賦の才に恵まれた芸術家としての、正当な誇りがあるだけだった。ブルックナーはちょうど『第8番』の終楽章と取り組んでいたが、それについてはこう語った。スケルツォは「ドイツの野人ミッヒェル」を表現している。終楽章は葬送行進曲であり、死者の枕辺に友人たちが集まるように、すべての主題が帰って来る。ドイツのミッヒェルも悲しげな表情でその場にいる、と。彼はその交響曲を、自分に冷淡なヴィーンではなく、ミュンヒェンで初演したいと言っていた。当時彼はこの交響曲について、宮廷楽長レヴィと意見が合わないようだった。後日聞いた話では、この芸術的対立ではブルックナーの方が譲歩したという。ブルックナーは自国の皇帝について、真に感動的な愛着を示し、初めて皇帝と言葉を交わした日を、人生最良の日と呼んだ。皇帝フランツ・ヨーゼフの名を冠した勲章を拝受したことについても、彼はとても喜んでいた。特段の援助を賜わることになったが、いつもいつもそれに甘えて、なにかと出費の多い皇帝の懐からくすねるつもりはない、と彼は言っていた。それは高地オーストリア人としてできることではない、と。
田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P238-239

とても良い話。ブルックナーは決して優柔不断な人間ではなかった。自信のない男でもなかった。一方、その天賦の才をひけらかす輩でもなかったところが素晴らしいと思う。永遠不滅の傑作交響曲群を前にして、後世に残り、後世の人々にまで影響を与える逸品というのは、本人の意思を離れ、一切の企図のない、時代の一歩も二歩も先を行くものなのだと痛感する。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1887年第1稿)WAB108
シモーネ・ヤング指揮ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団(2008.12.14&15Live)

先年、ヤングが新日本フィルを振った第4番第1稿を聴いたとき、僕は衝撃が走った。もちろん録音では幾度も聴いていたけれど、ブルックナーの第一念たる初稿については実演で聴くべきだ(実演に触れない限りその神髄は見通せない)と心底思った。
最初の稿を聴いて、あらためてブルックナーの天賦の才を確認できたと言っても言い過ぎではない。一つの視点から言えば支離滅裂ともとれる、未整理の作品は、それこそフレーズがいちいち分断される中でも、尊い統一性を感じさせることができるのは指揮者の力量だ。ヤングのあの時の演奏に、ブルックナーは初稿で聴くべきだと思わされたのも彼女のブルックナーへのただならぬ信奉があるからこそだと思うし、何よりコラージュ的に積み重ねられる楽想がどれほど有機的に絡み合い、心を刺激し、魂にまで突き刺さったことか。

生涯最後の時期が近づいても、ブルックナーの信仰は決して彼を失望させなかった。かつての教師に宛てて書かれた手紙では、健康が衰えつつあることを述べ、こう締めくくっている。「これもすべて神のご意志です」。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P164

神とは愛であり、慈悲だ。かつそれは宇宙の真理と一体のものだ。
ちなみに、シモーネ・ヤング指揮ハンブルク・フィルとの第8番の頂点はやっぱり終楽章だろう。

荒削りな楽器の扱い、バランスは、一聴唐突なように聴こえるが、そこにこそ天人合一のエッセンスが込められているようで、ひとたび第1稿に慣れれば、こちらの方がむしろシンパシーを感じるくらい。コーダの前3楽章の主題が絡み合うシーンの見事な分離と統一はほとんど「神の意志」のよう(漸強漸弱ではない、とってつけたような弱音からの強音処理の美しさ!)。そして、第3楽章アダージョの静謐な祈りの頼もしさ。

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