シャンソンを聴いた。といっても、カンツォーネあり、ピアソラあり、というもの。ついでにアンコールは中島みゆきの「時代」(僕は薬師丸ひろ子ヴァージョンの方が好き)。久しぶりにこの名曲に出会って昔を思い出した。
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ
愉しかった。
ところで、フランスの歌を聴いて感じたこと。なるほどフランス人、いやラテン人というのはとても開放的で、しかも開放の後に微かな「恥じらい」を持っている。そして、その「恥じらい」というのがとても洒落ていて、洗練につながっているのじゃないのかと。
一方の、ゲルマン系、例えばドイツ音楽。ここしばらくのシューマン三昧などを思い出しながら書くけれど、彼らは先に「恥ずかしさ」があり、それによって鬱屈しているものを吐き出し、爆発させることで自らを開放しているんだなと。実にラテンとゲルマンの性質の違い、まさに正反対と思い知らされた。
今宵、またしてもシューマンを聴く。それも最晩年のヴァイオリン協奏曲を。
この作品の出だしが、それこそ前述のドイツ人っぽさを明確に示しており、何ともシューマンという人は自身の性格に、もっというなら民族の性質に極めて正直な人だったんだと確認した次第。
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
・シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調WoO23
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
リッカルド・ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1982.6録音)
シューマンの冒頭は何もないところから「音」を取り出し、ひとつずつ丁寧に紡ぐという感じ。しかも、途中で爆発するかと思いきやいかにもそれが中途半端。なるほど、シューマンは晩年精神を患ったけれど、躁的な時期はなく、どちらかというと常に鬱性気質だったのかなと想像。
1853年のロベルトの日記。
ヴァイオリンのための曲を書き始めた。(9月21日)
ヴァイオリン協奏曲は完成。ブラームスが訪れる(天才だ)。(10月1日)
オーケストレーションを終了。(10月3日)
わずか2週間ほどで出来上がった作品ということになる。
霊感に薄いかといわれれば決してそうでもない。第2楽章のメランコリックに僕はロベルト・シューマンの真髄を感じる。例の「天使の歌」も木霊・・・。
ちなみに、クレーメルは10数年後にアーノンクールと再録しているけれど、こちらは伴奏があまりに「明確」で、最晩年のロベルトの病的な雰囲気が薄れている。その点、ムーティのサポートは素敵。
音の曖昧具合がいかにも、という印象。
さて、明日はZERO。がんばろう。
これはシューマンの作品ではもっと注目して欲しい作品てず。私はハンス・ペーター・ツィンマーマンのCDがあります。これもなかなかの演奏です。この時期、ブラームスとの出会いがこうした作品の原動力になっていた一方、若い時、クラーラの父、ヴィーク家に寄宿していた際、女中との火遊びが原因で感染した梅毒が精神疾患に進行していました。妻のクラーラすらわかりませんでした。
ヴィークがシューマンとクラーラの結婚に反対していた真の理由は、シューマンが梅毒にかかっていたことを知っていたからでした。
>畑山千恵子様
ツィンマーマン盤は未聴ですが、おっしゃるようにこの曲はもっと注目されて然るべきですね。
ありがとうございます。