春の気配、蠢き

立春を過ぎ、今日は新月。よって「願事」を託す日でもある。
外はまだまだ寒い。しかしながら、午前中ミーティングを済まし、午後は個人セッションのため外出する。新宿界隈の雑踏の中を歩いてみても微かに何かが蠢く「春の気配」を感じる。そういえば去年の今頃は世田谷区船橋でRの公開研修を受講していたな、と思い出す。本当に1年とはあっという間である。2007年の前半は「意識のリハビリ」というか何というか、突然の状況の変化で我ながら戸惑いつつも次のステージに乗り出す時期を伺っていたように思う。昨夏以降、様々な出逢いがあり今に至るが、やっぱり身の周りに起こる出来事はすべて必然だったのだなと思い知らされるのだ。突然の急なギア・チェンジであったが正解であった。
人に喜んでいただける経験を幾度もすることで人は誰でも蘇る。そして磨かれる。

春。初春というにはまだ早いか・・・。とはいえ、「春」である。
こういうときは考えなくても良い、集中しなくても良い「軽い」音楽が耳の邪魔にならない。モーツァルトは気楽に聴けるが、ついつい集中してしまいがち。ベートーヴェンは重い。ならば、ハイドン。しかも、つい先日発売されたラトルがベルリン・フィルを振ったピリオド楽器のスタイルを意識したCDを取り出す。

ハイドン:交響曲第88番~92番
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

いわゆる「トスト交響曲(エステルハージのオケのヴァイオリン奏者であるトストの依頼により作曲)」と「ドーニ交響曲(ドーニ伯爵の依頼により作曲)」をまとめたもの。特に88番ト長調は「V字」というあだ名をもつ有名曲。僕にとっては重くうねりのあるフルトヴェングラー盤が一番のお気に入り(昨日はブルーノ・ワルター指揮のものを聴いた)だが、ラトル盤は清澄かつ軽快でハイドンという作曲家の明るさがあらためて認識できるのでこういう演奏もたまにはいいなと率直に感じる(乾いたティンパニの一撃は少々とってつけたような違和感があるのだが・・・)。
ちなみに2004年にラトルがベルリン・フィルハーモニーと来日した折、サントリーホールでの実演に接したが、前半は確かハイドンの第86番だった。しかしながら、後半のワーグナーやブラームスの演奏に比してこのハイドンの記憶がほとんどない(ハイドンの楽曲そのものが地味だからだろうか)。

ところで、マハリシ・マヘシ・ヨギ師が5日に亡くなったようだ。60年代にビートルズが一時傾倒したことで有名な師は、いわゆるTM瞑想の祖。女性に対する性癖がもとでビートルズは彼の元を離れるが、実情はそうではないらしい。いずれにせよスピリチュアルの世界はどんなものでも賛否両論だから真偽のほどは定かでない。

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