レオンハルトのバッハ「オルガン作品集」を聴いて思ふ

bach_orgelwerke_leonhardt178ヨハン・セバスティアン・バッハの啓示。
ヨハネス・フェルメールからの直感。
バッハが「小川(Bach)」であったのに対し、フェルメールは「大海(Meer)」だったみたい。バッハ生誕の10年前に既に没するも2人には不思議な符合がある。フェルメールの絵画に見る光と翳はそのままバッハの音楽に投影されるよう。

梅津時比古氏のエッセー「フェルメールの音」には次のようにある。
何と見事な表現であることか。

静けさのなかでしか音は聞こえない。光や空気や壁が調和して音は響き、机や椅子や人など、世界のすべてのものは、共鳴する音を内在させている。それらの真理を、フェルメールは宙に浮かぶ音を描くことによって、静かに刻印している。
梅津時比古著「フェルメールの音―音楽の彼方にあるものに」(東京書籍)P11

すべての芸術は生活の中から生まれる。聖なる世界と俗なる世界が混成するゆえの美。
同じく梅津氏の「暮らしのなかのバッハ」なるエッセー。

聖トーマス教会の前には、トーマス・ショップなるものができて、Tシャツや帽子、時計、ワインなどにバッハの名を刷って売っている。物もらいの姿も、こういうショップも、東独時代には見られなかった。壮大なバッハが遠のくようで、眉をしかめる気持ちにもなった。だが、いつの時代にも、日々の暮らしから、はずれてしまった人もいれば金もうけに走る人もいる。バッハだって夜の街頭で大げんかもすれば、自分の給料を上げるために教会とえげつない駆け引きもした。あのバッハの大きな音楽は、普通の生活をすべて許容したところから生まれているに違いない。物もらいもショップも、あるいはバッハの音楽から、そう遠くないのだろう。
~同上書P99

1928年5月30日、オランダ北部のス・フラーフェラントに生を得たグスタフ・レオンハルトの生み出す音楽は崇高でありながら、どこか人間っぽい響きに満ちる。何と優しいオルガンの音色であることよ。

J.S.バッハ:
・トッカータニ短調BWV913
・愛しきイエスよ、我らはここにBWV731
・キリストは死のとりことなられてもBWV718
・我汝に別れを告げんBWV736
・キリスト者よ、汝らともに神を讃えよBWV732
・キリエ、父なる神よBWV672
・クリステ、世の人すべての慰めなるキリストよBWV673
・キリエ、聖霊なる神よBWV674
・いと高き神にのみ栄光あれBWV675
・「いと高き神にのみ栄光あれ」によるフゲッタBWV677
・「これぞ聖なる十戒」によるフゲッタBWV679
・「我ら皆唯一の神を信ず」によるフゲッタBWV681
・天にましますわれらの父よBWV683
・我らの主キリスト、ヨルダン川に来りBWV685
・深き淵より、我汝に呼ばわるBWV687
・「我らの救い主なるイエス・キリスト」によるフーガBWV689
・前奏曲とフーガホ短調BWV533
グスタフ・レオンハルト(オルガン)(1988.5.25-26録音)

比較的珍しいバッハのオルガン作品を集めた1枚。
例えば、「愛しきイエスよ、我らはここにBWV731」。プロコル・ハルムが「青い影」を作った時、この響きからインスパイアされたのではないのかと思わせるほどの静けさと美しさ。そして、「キリストは死のとりことなられてもBWV718」の、囁きのような低音旋律の上に高音旋律が応える音楽に妙なる愉悦!
グスタフ・レオンハルトの、バッハへの尊敬に溢れた名演奏たち。ここには演奏者の存在を感じさせないバッハの真の魂が宿る。

この絵(「青衣の女」)の前に立ってまず思うのは、手紙を読むという単純な行為がなぜこんなに心を揺さぶるのかということだ。静寂の中に佇んで、手紙を読んでいる女性の脳裏にはどんな思いがよぎっているのだろう。それを知る方法はもちろんないがそれでも考えざるを得ない気持ちになる。
朽木ゆり子著「フェルメール全点踏破の旅」(集英社新書ヴィジュアル版)P112

静寂の中に佇むバッハの内には何が在ったのか?単純さの中にある複雑性はフェルメールとバッハに通じる要素なのかも。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む