ピリスのモーツァルトK.310, K.333 &K.545(1989.2録音)を聴いて思ふ

mozart_310_333_545_pires596原点に還ろうと思う。
余計なものを削ぎ落とし、純粋にあろうと思う。
旅の日にモーツァルトが父レオポルトに認めた手紙・・・。

ぼくは断言しますが、旅をしない者は(少なくとも芸術や学問にたずさわっている人たちなら)実に哀れな存在にすぎません!凡庸な人間は、旅をしようとしまいと、常に凡庸のままです。しかし、優れた才能の持ち主は(ぼくがそれを自分自身に認めなかったら、神をないがしろにしたことになります)いつも同じところに留まっていると、だめになります。
(1778年9月11日付、パリにて父宛)
「モーツァルト事典」(冬樹社)P116

水の如く流れよと(モーツァルトはまさに水の化身だったのでは?)。
モーツァルトの音楽がどの瞬間も清澄なのは流れ続けていたからなのだろう。

イ短調ソナタK.310にある気高さ。第1楽章アレグロ・マエストーソは本来哀しく暗い。しかし、ピリスの紡ぎ出す音楽の質は明快かつ単純で、心に愉悦をもたらす。蠢く左手伴奏部が肝だろう。続く第2楽章アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッシオーネの、それこそ水も滴る潤いと透明感。ピリスの囁きが直接心に響く。そして、終楽章プレストは、旅の日の跳ねるモーツァルト。

モーツァルト:
・ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310 (300d)
・ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K.333 (315c)
・ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)(1989.2録音)

変ロ長調ソナタK.333第1楽章アレグロの可憐な主題に僕はいつも心躍る。そして、第2楽章アンダンテ・カンタービレの穏やかさに癒され、終楽章アレグレット・グラツィオーソの明るさの背面に潜む哀感に「人間性の根源的なカオス」を思う。30分に近くに及ぶこの大ソナタはピリスの真骨頂。

そりゃぼくだって努力しなくてはなりませんでしたよ。それで今ではもう努力しないですむようになったんです。
(1784年4月26日付、ウィーンにて父宛)
~同上書P119

神から与えられた才能を無駄にしないためにも見聞を広げることだ。天才も努力なしに認められることはない。

あるいは、ハ長調ソナタK.545第1楽章アレグロ第2主題にみるまるで生きているような伴奏部に感動。また、第2楽章アンダンテは赤子の如く無垢で美しく、終楽章ロンドは生命力に満ちる。

人間は無一文では何もできません。
(1788年6月17日付、ウィーンにてプフベルク宛)
~同上書P119

モーツァルトは実はひどい困窮ではなかったという説もある。
確かにその日暮らしの状態であんな音楽は書けないかも。
プフベルク宛の無心の手紙もよく読んでみるとどこか余裕があるように・・・。しかし、事の成否はどちらでも良い。
少なくとも言えることは、僕たちの前に残された音楽の美しさだ。
モーツァルトは一見平易なようで難解だ。おそらく演奏も大変だろう。
ちなみに、岡本太郎の「アバンギャルド宣言」には次のような件がある。

先ほど私は芸術には本来、難解なモメントがあると言った。平易さこそ人間性の根源的なカオス(渾沌)を現前させる最も端的な方法となるのだ。一見やさしく、単純だ。そこにかえって理解を超絶する難解性が出てくる場合がある。これは芸術永遠の不思議さであろう。
岡本太郎著「原色の呪文」(講談社文芸文庫)P67

まさに芸術永遠の不思議!

ところで、このアルバムの録音は、昭和天皇の「大喪の礼」のあったあの頃。
今上天皇が生前退位の御意思を示されているのだと。
世界は、歴史は確実に動いているのだとあらためて思う。

 

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4 COMMENTS

雅之

前にも話題にしましたが、世界人口推移を改めて眺めると、

−10000~−2000年 4百万人~2千7百万人位(縄文時代 岡本太郎に影響を与えた時代)
1756年 8億5千万人弱(モーツァルト生誕年)
1802年 10億人(シューベルト生誕から5年後)
1927年 20億人
1961年 30億人(私が生まれたころ)
1974年 40億人
1987年 50億人(日本 バブル景気)
1998年 60億人
2011年 70億人
2015年 73億人

※参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E5%8F%A3

やはり、どう考えても人口が増え過ぎているのが、世界に紛争が絶えない大きな要因だと思います。

今上天皇が即位されたのは今の私とほぼ同じ55歳のころ。

>世界は、歴史は確実に動いているのだとあらためて思う。

ああ・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

>どう考えても人口が増え過ぎているのが、世界に紛争が絶えない大きな要因だと思います。

同感です。
人間が「長く生きること」に固執してきた結果なんでしょうね。
死に対する恐怖が強過ぎるのかもしれません。
進歩は退歩でもありますから複雑な思いです。
無駄に長生きするのではなく、モーツァルトのように一瞬一瞬に集中して駆け抜けて生きたいと思います。

返信する
雅之

>無駄に長生きするのではなく、モーツァルトのように一瞬一瞬に集中して駆け抜けて生きたいと思います。

同感です。私も、長生き=幸せではないと感じています。それに、縄文杉の樹齢4,000年以上と比べたら、35歳で死んでも100歳まで生きても、大した差はないという気がします。

地球(もしくは宇宙)がひとつの生命体だとしたら、我々は細胞のひとつ。モーツァルト演奏のような微妙なバランスと、水の流れの中に生かされているのですから、生態系の掟(おきて)に基づく新陳代謝は不可欠なはずです。

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岡本 浩和

>雅之様

>微妙なバランスと、水の流れの中に生かされているのですから、生態系の掟(おきて)に基づく新陳代謝は不可欠なはずです。

おっしゃるとおりです!

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