アルゲリッチ ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル響 ショパン ピアノ協奏曲第2番ほか(1978.1録音)

ひとりの女性への片思いを綴ったショパンの名作だが、僕は長い間、よくわからなかった。
少年の頃、音楽にのめり込むその入口にはショパンがあった。にもかかわらず、この協奏曲については不思議にも長い間心が動かなかったのである。たぶん僕自身の経験不足、心の器の小ささが影響したのだろうと思う。何事もそれを受容できるその人の器次第ゆえ。

その抒情的な音楽のように、ショパンの人生には、心を揺さぶられるような喜びと悲しみが満ちていた。その人生を信仰という視点から眺めるなら、3つの時期からなる旅ということができる。愛と信仰心に満ちあふれた家庭で育ったが、パリで経歴を築いている間は信仰から離れてさまよい、39歳で早過ぎる死を迎えるほんの少し前、ついに神のみもとに戻った。
若い頃のショパンには、才能ある音楽家にとってこれ以上ない恵みが2つ与えられていた。支援を惜しまない素晴らしい両親と、常に励ましを与えてくれる申し分のない教師である。ショパンは、子供4人の家庭でただ一人の男の子だった。子供たちは皆、音楽に魅せられていた。家族は仲むつまじく、両親は息子がたぐいまれな才能の持ち主であるのを喜んだ。

パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P97

わずか39歳で夭折したショパンの生涯を振り返ってみて、彼の育った環境の大らかさ(?)を思う。青年期はパリの喧騒の中で振り回されたことだろうが、内なる赤子の心は決して喪失されず、晩年になってあらためて取り戻したのだろうと思う。
最初の協奏曲である第2番作品21は、ウィーン・デビューを果たした1829年から30年にかけ作曲されている。

僕は悲しいかな、僕の理想を発見したようだ。この半年というもの、毎晩彼女の夢を見るが、まだ僕は彼女に一言も口をきいていない。あの人のことを想っている間に、僕は僕の協奏曲のアダージョを書いた。
(1829年10月3日宛ティトス・ヴォイチェホフスキ宛)
「作曲家別 名曲解説 ライブラリー④ ショパン」(音楽之友社)P25

コンスタンツィア・グワドコフスカヤへの思慕。
むせかえるような心情が横溢する第2楽章ラルゲットがあまりに美しい。

・シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
・ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団(1978.1録音)

若きアルゲリッチのDGへの録音はどれもが自由奔放でありながら、清澄であり、音楽に生気が漲る。シューマンの協奏曲然り、ことにショパンの最初の協奏曲は内燃する情熱がどの楽章にも刷り込まれていて、録音から45年が経過しても新鮮さを失っていない(あまりに素晴らしく2度繰り返して聴いてしまった)。

シューマンの協奏曲も素敵。
何よりロストロポーヴィチの確信に満ちた指揮、アルゲリッチのピアノに寄り添う、というか(スタジオ録音ながら)ライヴさながらの丁々発止のやり取りに度肝を抜かれる。第1楽章アレグロ・アフェットゥオーソの出来が見事。気の遠くなるような永遠と今が交錯する。そして、第2楽章間奏曲の優美さ。荒れ馬の束の間の休息の如くの安らぎこそロベルトのクララへの愛(アルゲリッチとロストロポーヴィチはこのとき恋愛関係にあったのだろうか)。

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