フレイレ アルゲリッチ ラボルダス パストヤンス ジンマン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 バルトーク 2台のピアノと打楽器、管弦楽のための協奏曲(1985.8録音)

1943年1月21日の夕。ニューヨークシティのカーネギーホール。こうして開催された「2台のピアノと管弦楽のための協奏曲」の演奏が、さまざまな意味でバルトーク夫妻にとって最大の意義あることとなった。おそらく夫妻自身にしても、その理由の全部はわからなかっただろう。彼らはそれを意識的に心にとめていなかったのだったから。しかし極限まで張りつめた神経は、この瞬間の重大な意味を何か予言的な力で感づいているように思われた。
アガサ・ファセット/野水瑞穂訳「バルトーク晩年の悲劇」(みすず書房)P271-272

ベラとディッタにとって公での演奏はこれが最後だった。
このときベラ・バルトークはいわば忘我の境地にあったという。そして、聴衆の多くはとても感動したそうだ。しかしながら、専門家の批評は決して芳しいものではなかった。

演奏会は終わった。しかし、その名残りの昂りはすばらくのあいだ揺曳していた。この演奏会からは、顕著なこと、重要なことは何も招来されなかった。しかし、バルトークとディッタが共に浸っていた完遂の満足感は、突然に緊張がゆるんだにせよ傷つけられることはなかった。演奏会の前にあれほどの高みにのぼりつめていた、あのすさまじいばかりの高揚は、世俗的な収穫を望む気持から出たのではなく、音楽そのものに息吹きを与えるという目的のために、純粋に完全に生じていたのであり、それゆえに、演奏という行為によってまた純粋に完全に燃焼し切ってしまったのだということが、いま、以前にも増して私にははっきりと見えてきた。
~同上書P274

困窮の中にありながら、バルトーク夫妻の志は決して揺るがなかった。もはやお金を稼ぐことそのものが目的ではなかったということだ。何という清廉さ。

・バルトーク:2台のピアノと打楽器、管弦楽のための協奏曲Sz.115(1940)
ネルソン・フレイレ(ピアノ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ヤン・ラボルダス(打楽器)
ヤン・パストヤンス(打楽器)
デイヴィッド・ジンマン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1985.8録音)

パウル・ザッハーの委嘱によって完成された2台のピアノと打楽器のためのソナタを原曲とする協奏曲。バルトークの創意あふれる、それまでにない組合せによる音楽の斬新さ、あるいは深遠さ。縦横に打楽器が活躍する音楽は、見事に聴き手の精神を鼓舞する。

第1楽章アッサイ・レント―アレグロ・モルトが断然素晴らしい(例によって黄金分割が綿密に張りめぐらされた知的な構成)。土俗的な舞踊と洗練された音響の織り成す20世紀の傑作がアルゲリッチとフレイレを中心とした壮絶なアンサンブル、そしてジンマン指揮コンセルトヘボウ管弦楽団の強力なバックアップのもと実に刺激的な音楽を奏でる。
第2楽章レント・マ・ノン・トロッポはいかにもバルトークらしい夜の歌。アンニュイで鮮烈な印象を醸す音楽は、続く終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポにかけて大いなる高みに登りつめて行く。これほどの精神の高揚を喚起する音楽が他にあるのかと思えるくらい。何よりアルゲリッチとフレイレの集中力の凄まじさ。

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