その昔、アメリカ音楽の能天気な明るさに僕はついていけなかった。
若気の至りの妙な先入観だったのだろうと思う。
しかし、その偏見はあるレコードを聴いて一気に払拭された。それが、トスカニーニ指揮するNBC交響楽団の録音だった。一言でいうと、(無駄に)明るく、俗っぽく軽いものだと誤認していたアメリカ人作曲家の作品が、トスカニーニの華麗なる棒によってひとつの純粋音楽として強烈な個性と熱量をもった音楽に変容されていたこと。その表現は、手に汗握るもので、僕は時間を忘れて没入した。
開放的で、かつ希望に溢れる、実に素晴らしい音楽たち。
戦時中の、戦況好転する中での録音のせいか、音楽は意気揚々と、勝利に浸るかのような肯定的な雰囲気を醸している。颯爽たるテンポで奏されるサミュエル・バーバーについてはさすがに初演者であるトスカニーニの灼熱の棒が光る。
中で、絶品はグローフェだろうか。この、何でもない、情景描写の音楽が、ことごとく生き生きと、そしてまるで眼前に壮観な姿を現わすかのような錯覚さえ起こすのだ。
トスカニーニは怒鳴った。「そう!そう!そう! カンターレ(歌って)! ソステネーレ(持続して)!」。彼の足は暴力的な動きを準備しているかのように少し曲げられていた。そしてその暴力的な動きは、音楽が最初のクライマックスに近づくと、より大きく、打ちつけるようになった。「カンターレ! ソステネーレ!」、私はそれからの何年もの間にそれらの言葉をしばしば聞くことになる。
~山田治生著「トスカニーニ―大指揮者の生涯とその時代」(アルファベータ)P225
トスカニーニが初めてNBC響のリハーサルに現われた日のことを、当時ヴァイオリン奏者だったサミュエル・アンテックがそう回想している。「暴力的な」という表現は、その通りだったのだろうと想像される。