ティボー コルトー フランク ヴァイオリン・ソナタ(1929.5.28録音)ほか

ギュスターヴ・ドゥルパ教授のセザール・フランクへの手放しの賞賛。
フランクを聴く際のガイドとなるだろう彼の評に膝を打つ。
少々長いが引用しよう。

フランクが住む世界はきわめて明るい光で照らされ、真の生命の息吹によって生気を与えられている。フランクの音楽は私たちを獣にも天使にもしない。安定した釣り合いを保って、唯物的な猥雑さからも、疑わしい神秘主義の妄想からも相去ることが遠い。人間性は多くの積極的な喜びと悲しみを持っているが、フランクの音楽はその人間性をそっくりそのまま受け入れる。そして聖なるものに対する感覚を掲示し、それによってこの人間性を穏やかな平安の境にまで引き上げる。しかもその際、人の眼を眩ませることがない。したがってフランクの音楽は恍惚境を目指すのでなくて、観照を目的とする。彼の音楽を聴く人は、その恵みある力に素直に自分をまかせるがよい。そうすれば、自分の魂の中心は表面の動揺から逃れることができる。そして己が中にある最もよいものと共々に、この上なく慕わしくこの上なく叡智的なものに牽かれてそのもののところに帰っていく。そのとき人は人間であることをやめないで、しかも神に近づくのである。フランクの音楽は詩の姉妹であるとともに、真に祈祷の姉妹である。私たちを意気地なくするどころか私たちの魂をその源泉へ連れ戻す。そしてそれによって私たちの魂に感激と光明と衝動との感謝すべき力を再び与える。それは私たちを天上の安息の都に導き返すのである。
(文学博士哲学教授ギュスターヴ・ドゥルパ氏著「セザール・フランク—生涯、所説、および作品の研究」パリ、フィッシュバッハー、1897年)。
ヴァンサン・ダンディ/佐藤浩訳「セザール・フランク」(アルファベータブックス)P66-67

フランクの作品を聴くことが、また享受することが僕たちを解脱の境地に誘うのだと提言するドゥルパ教授の示唆は少々大げさな気もするが、しかし、その音楽の中庸性、さらに「観照を目的とする」という意味において的を射ているように僕は思う。

傑作ヴァイオリン・ソナタを聴いてみよう。
古今東西のヴァイオリニストが争うように演奏し、録音してきた名作は、誰のどんな演奏においても聴く者に感動を与えてくれる。その事実そのものが中庸だといえまいか。

個人的に最右翼は、第1回別府アルゲリッチ音楽祭でのギトリスとアルゲリッチによるものだ(この第1回の音楽祭を実際に訪れ、アルゲリッチの独奏によるプロコフィエフの第3協奏曲に滅法感動したことは今も良い思い出の一つだ)が、中庸と意味ではこの演奏はかけ離れている。これほど感情を揺さぶり、いろいろな意味で伸縮の激しい演奏はエキサイティングであるけれど、観照的ではない。その点、録音から一世紀近くを経て未だ色褪せないティボーとコルトーによるものは、僕たちの魂に感激と光明と衝動との感謝すべき力を再び与えてくれる逸品だ。

・フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調(1886)(1929.5.28録音)
・ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のためのコンセールニ長調作品21(1889-91)(1931.7.1-2録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ルイ・イスナール(ヴァイオリン)
ウラディーミル・ヴルフマン(ヴァイオリン)
ジョルジュ・ブランパン(ヴィオラ)
モーリス・アイゼンベルグ(チェロ)

第1楽章アレグレット・ベン・モデラートから官能的なポルタメントが多用されながら、実に永遠の、時間が止まったような、ほとんどプルーストの「失われた時を求めて」の如くの曖昧模糊とした幻想の中にいるような錯覚に陥る(?)名演奏に、古びた音質を超えてつい惹き込まれてしまう。

長いあいだ、私は早く寝るのだった。ときには、蠟燭を消すとたちまち目がふさがり、「ああ、眠るんだな」と考える暇さえないこともあった。しかも30分ほどすると、もうそろそろ眠らなければという思いで目がさめる。私はまだ手にしているつもりの本をおき、明りを吹き消そうとする。眠りながらも、たったいま読んだことについて考えつづけていたのだ。ただしその考えは少々特殊なものになりかわっている。自分自身が、本に出てきたもの、つまり教会や、四重奏曲や、フランソワ1世とカルル5世の抗争であるような気がしてしまうのだ。こうした気持は、目がさめてからも数秒のあいだつづいている。
マルセル・プルースト/鈴木道彦訳「失われた時を求めて1 第一篇 スワン家の方へI」(集英社文庫)P29

そう、眠りと目覚めの中間の、θ波状態に誘われたようなあの感覚は、おそらくティボーとコルトーの魔法のようなアンサンブルによってこそ生まれ得たものではないだろうか。
第3楽章ベン・モデラートの幻想、そして終楽章アレグレット・ポコ・モッソの解放は他を冠絶する、文字通り「祈祷の姉妹」たる精神に満ちている。

過去記事(2018年6月10日)
過去記事(2011年1月13日)

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